交響曲第8番 ハ短調 作品65
コンドラシン指揮/モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団
1967 BMG/Melodiya
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これだ!!必聴、必携、究極の一枚であると断言する。1楽章、最初の音からすでに全てがショスタコーヴィチ。録音のレンジがそれほど大きくないこともあって、大音量で始まる1楽章の圧倒的な力にねじ伏せられる。この全集を録音したときにはショスタコの生霊(まだ生きてる)が団員に取り憑き、さらに録音技師にも取り憑いたに違いない。凄まじく冷たい音色。録音の古さなど気にならない。むしろ、時代性込みでこれでいいのだという説得力さえある。モスクワ・フィルの最も良いサウンドを聴くことができる。重苦しい大太鼓の乾いた音色。スナッピを十分に鳴らしながらも響きのまとまったスネア、超強烈な打撃音のティンパニ、打楽器はどれを取っても文句ない。感激の大音量と明確なリズム、燃焼度。吊りシンバルは、この全集ではよくあることだが、もうクレッシェンドができないというところまで早々と音量を上げ、それでも最後まで叩ききる。1楽章アダージョからの練習番号20で急展開する無慈悲で残酷な予感、そしてユニゾン(練習番号34)、この「抗えなさ」は絶望的な暴力となる。コンドラシンらしい速めのテンポで荒々しく構築される2楽章、3楽章の狂気。ガリガリと軋む弦楽器に過剰なまでに唸る金管も素晴らしい。トム・トムのようにデッドな響きのティンパニ。オケ全体もこれはもうもの凄い音量で鳴るわけだが、感情が乗った爆演という様子ではない。むしろ透徹した厳粛なまでの格調高さを感じる。3楽章の殺人機械的な無窮動から4楽章突入までの流れは、そら恐ろしい。気温が下がったかと思うほどの冷たい表現。そして5楽章、感動的に消えゆくラスト。これは果たして、音楽なのか?いや、これこそ音楽なのだ。そんなことを考えながら、よみものを書いた。なお、録音については本BMG盤では1962年の表記だが、後年に発売されたメロディヤからのBOXでは1967年表記へと修正されている。1962年録音の4番と比べても録音状態は格段に良いため、誤表記だったのだろう。
ムラヴィンスキー指揮/レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団
1976.01.31/Live Scora
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この曲の献呈者であるムラヴィンスキーの録音は、現時点では6種聴くことができる。つまり、47年スタジオ盤、60年英国ライブ盤、61年モスクワライブ盤、61年レニングラードライブ盤、76年ライブ盤、82年ライブ盤である。その中においては、完成度と録音の質において82年盤がやはり決定盤と思われるが、当盤のどこかうら寂しい乾いた薄い録音と、メリハリの効いた強奏が魅力的で、ストレートに強烈なサウンドに心を奪われる。1楽章練習番号20以降からの金管のフォルテでのテヌートの表現からスネアに至るまでの鮮烈さは、ムラヴィンスキーの他盤でも聴かれまい。高速で突き進む迫真の2・3楽章は、そのスネアの存在感もあってムラヴィンスキーの中では最も好きだ。そしてやはりうら寂しい渇きの中で曲は閉じていく。全体的に瑕疵がないわけではないが、クールな音色で整然と整ったアンサンブルは殺伐としているとも感じられる。ソ連崩壊と同時に四散した国営放送の権利の一部はスコラがCD化したようで、同時に発売された5番(後にドリームライフがリマスタ)も乾いた肌触りのサウンドが実にムラヴィンスキーらしい魅力を引き出していた。
ムラヴィンスキー指揮/レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団
1982.03.28/Live Altus
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名盤と誉れ高い82年ライブ盤。真摯に曲に立ち向かった感動的な演奏である。晩年のレニングラードでの演奏であるが、もちろん、ムラヴィンスキー、レニングラード・フィル特有の鋭さ、厳しさ、冷徹さ、といったものはいささかも衰えてはいない。むしろより洗練され、研ぎ澄まされている。ムラヴィンスキーのショスタコーヴィチ演奏の一つの到達点であることは間違いなく、強烈なサウンドの中に繊細な響きを聴き取ることができる。現在、このライブのリハーサルをDVDで観ることができるが、張り詰めた緊張感があり、妥協のない厳しい姿勢が映し出されている。このリハーサル映像は、当盤の解釈を助けるだけでなく一つの作品としても興味深い。なお、このディスクをめぐっては曰く付きとでも言うリマスタと再販の変遷があり、初出はフィリップス。その後にライセンス切れで長らく入手難に陥る。フィリップス盤はピッチが異様に高く収録されており、後にロシアン・ディスク(RD)盤がリリースされるも、そもそもソ連崩壊後に権利が四散していった経緯の中でRDが安定してCDを供給できるわけでもなく、これまたフィリップス盤以上の入手難になる。さらには、イコンがフィリップス盤ピッチによる再販を、レジスがRD盤ピッチによる再販を行うが、不自然なノイズリダクションが不評で、長らく初期のフィリップス盤、RD盤を超えるCDは入手できない状況だったところ、タワーレコードの企画でフィリップス盤が復刻(なんと1,000円)。ピッチは初期盤のまま。RD盤、レジス盤は、ムラヴィンスキーの鋭く突き刺さるような凍て付く空気は健在だが、重心が下がり、その先に少し温かみを感じる。やはりピッチが高いのは不自然だったのか、と思ったものだが、その分、刺激が薄まったという方もいるかもしれない。そして、2015年になって、ムラヴィンスキー夫人が保有していた音源を元に日本アルトゥスが最新技術でリマスタリング。いよいよ決定盤の登場となったというわけだ。同音異盤を聴き比べてみると、その空間を含めての音の条件というものを、どこまでオーディオで再現できるのか、とても興味深いものがある。
ショルティ指揮/シカゴ交響楽団
1989.02/Live Tower Records/Decca
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完璧なまでのバランスで至高の8番を聴かせてくれる。「ショスタコーヴィチの音楽を敬遠していた」と語るショルティが、晩年になってそのレパートリーに加えるようなったのは興味深い。CDではこの8番が初めての録音ということになり、ライブからの編集。ショルティとシカゴ響のコンビには何の不満を抱くこともないが、この8番という曲に新たな境地を拓いたという感動がある。全体的に速めのテンポを取るのはショルティの特徴だが、1楽章はここまで速いにもかかわらず、こうも濃密に描けるものなのか。オーケストラの極上の響きが、速いテンポの中でも決して軽薄にさせない。このみっちりと詰まった分厚いサウンドは、否応なしにショルティのマーラーを彷彿とさせるが、説得力に満ちた構造美という点ではまったくもって共通するところだろう。二つのスケルツォ楽章も同様で、実に美しい。感情的にならず、構造的な美しさを抜群のオーケストラ技術によって作り出していく様に、オーケストラ演奏という芸術活動の意義を見出すことができる。ショルティは七つの交響曲を残しているが、全15曲への取り組みに積極的なコメントを残しており、ぜひとも全集として聴きたかったものだ。マーラー全集に続く傑作となっていたことだろう。
コンドラシン指揮/モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団
1967.04.20/Live Altus
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67年伝説の来日ツアーから。コンドラシンとモスクワ・フィルは同年4月4日から20日までの2週間と少しで9公演を行うという強行軍を敢行し、チャイコフスキー中心のプログラムの中、マーラー9番(日本初演)やショスタコーヴィチの6番、8番を織り交ぜるという離れ業をやってのけた。しかも、東京、広島、福岡、大阪、名古屋、横浜と駆け回ってのことだ。さらには同行したオイストラフが指揮をした2公演もあるから、モスクワ・フィルはこの短期間に全11公演だ。我が国でこのようなオーケストラのツアーがあったことは、もはや伝説であろう。さて、この来日ツアーの最後を締めたのがこの8番。まさに戦いである。疲れ果てた兵士たちは魂を奮い立たせ、この大曲に最後の力を振り絞ったことだろう。そのエネルギーたるや、凄まじい。アンサンブルは随所で乱れ、特に3楽章では危険なドライブをしているが、超強力なスネアをはじめとする打楽器によって強引に音楽は進められていく。この爆走ドライブは、壁にぶつかろうと、対向車に激突しようと、ガードレールを突き破ろうと、とにかく突き進む。もし崖から落ちて海に飛び込んでも、それでも水中を進んでいきそうな推進力なのである。茫然自失。スネアは全集盤よりも芯のある太い音色。ティンパニも、これまたソビエト・オケらしく響きの枯れたトム・トムみたいな音。オーケストラが全身全霊で挑む8番。そして、曲の内面へとストレートに切り込んでいくコンドラシンの解剖術は、5楽章でささやかなハッピーエンドへと到達するのである。
コンドラシン指揮/フランス国立放送管弦楽団
1969.01.29/Live Altus
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やはりコンドラシンの振る8番は格別である。このうねるような泥臭さと強烈な推進力は、全てのディスクで共通の魅力。アルトゥスからリリースされた一連のフランス国立管との録音の中にショスタコーヴィチの8番が含まれていたことは、2015年のショスタコ関連のディスクでは最も心躍るニュースであったことは間違いない。録音状態はそれほど良好とは思えないが、他3種と比べればだいぶ良い。アルトゥスの音質には信頼が置ける。モスクワ・フィルとの比較では、当然ながら当時のソビエト・オケ特有の鋭さと渇きは感じられないものの、フランス国立管の確かなアンサンブル力を聴くことができる。ライブゆえの瑕は散見されるものの、全体的に整った輪郭であり、コンドラシンの亡命後の演奏にも通ずる魅力あふれる一枚。特に2楽章の魅力は比類ない。67年伝説の来日ツアーで聴かれたような興奮はないが、アンバランスなようで計算されたメリハリとスリリングなドライブ感は素晴らしい。職人的な響きとあわせてモスクワ・フィルとの録音では聴かれなかった一面がある。なお、録音年月日はジャケット表記では2月5日となっているが、WEB上で1月29日の演奏であるとの検証結果があり、当サイトでもそれに従うことにした。
N.ヤルヴィ指揮/スコティッシュ・ナショナル管弦楽団
1989.02.07 Chandos
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ヤルヴィらしい切れ味と整理された構成が心地良い。やはり同曲においても印象に残るコンドラシン、ムラヴィンスキー、ロジェストヴェンスキーといった極めて主張の強い演奏の前ではアクの強い個性はないが、ヤルヴィの交響曲全般に貫かれているわかりやすさ、ハッキリと前に出てくる打楽器、テンポ感やリズム感といったノリの良さは、やはり私は好きだ。聴き手によっては、「軽さ」や「薄さ」を指摘する向きもあるかもしれない。「重さ」と「濃さ」が十分に魅力的な録音が多数あるし、シャンドスのシャリシャリした爽やかな録音も影響するかもしれないが…。20年以上も前だろうか、私が初めて当盤を聴いたときのメモのようなものがあって、当時の私にはもの足りなかったようなコメントが書かれていたが、こうして聴き直してみたり、年齢を重ねたり、環境が変わったり、聴き手の感覚によってもディスクの評価などはいくらでも変わるものであって、そうしてみると音盤レビューなど本当におこがましいものだが、こうして1番から15番まで出揃ったヤルヴィの交響曲を聴いてみると、一貫した表現があって、それを感じられるからこそ私はやはりヤルヴィの信奉者だなぁ、と思う。
アシュケナージ指揮/ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
1991.10 Decca
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アシュケナージはロシアの系譜に連なる指揮者ながら、演奏においては西側の趣がある。ここでも整然としたスタイルが心地良く、バランスの良い演奏。全体的に速めのテンポ設定で、ロイヤル・フィルの爽やかなサウンドとともに疾走感あふれる快演と言えるだろう。個人的には、8番はこのディスクで初めて聴いたのでとても思い入れ深く、何度も何度も繰り返し聴いた一枚だ。パリッとした金管楽器とアクセントの強い打楽器に心惹かれたものだ。特にスネアが素晴らしく、バランス、リズム感ともにしっくりくるもので、3楽章の合いの手は見事だ。3楽章終わりのソロでは、ロールの頭に強烈なアクセントを放つ。ヤルヴィの11-12番、カラヤンの10番、バーンスタインの1,7番辺りの国内盤DGでショスタコーヴィチを聴き始め、この8番で輸入盤にも手を出し始めた頃か。高校の部室のオーディオで大音量で聴いていたことを思い出す。このディスクのもう一つの魅力は、併録曲だろう。何とも珍しい、ほとんどCDが出ていない「葬送と勝利の前奏曲」と「ノヴォロシイスクの鐘」。これはセットで前奏曲、8番、鐘、と続けて聴きたい。
ロジェストヴェンスキー指揮/ソビエト国立文化省交響楽団
1983 BMG/Melodiya
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1楽章冒頭は実に丁寧に始まり、この曲の持つストーリーの二面性で言えば、言わばナレーションに該当するような表現で、落ち着いたもの。そこに徐々に残酷で悲惨な影が忍び寄り、ついに練習番号20からの強奏とスネアによって決定的な破壊へと向かっていく。全オーケストラの絶叫とも言えるユニゾンで何もかも蹂躙される。このソビエト文化省響の鋭くそして力強いサウンドは強烈無比で、思わず勘弁してくれと叫びたくなる。そこまでやるか!そこまでやるのだ。2-3楽章は遅めのテンポを取っているが、いつものごとくそのテンポの中で詰められるだけ詰め込んだ音の圧力には、常識を覆される。2楽章ラストの8分音符は卒倒する。トロンボーンやホルンのべったりと密度の大きなバリバリと唸る強奏、ヘッドの打撃音が強烈な打楽器。3楽章ラストのティンパニは、もう何が起こったのかと思う。木管楽器のソロ技術の妙から妙に透き通った美しい弦楽器まで、これぞロジェヴェン&ソビ文。アンサンブルの解れや音程の悪さは、この曲をより凶暴なものへと変えているので、意外と気にならなくなってくる。
ラザレフ指揮/日本フィルハーモニー交響楽団
2015.06.12-13/Live Exton
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エクストンのラザレフと日フィルによる「ラザレフが刻むロシアの魂」シリーズ。4,5,6,7,8,9,11,12,15番と9曲が録音されたが、8番は最高峰と言える。引き締まったテンポとスピード感、切れ味ある明瞭なサウンドと録音で、ソ連やアメリカ・オケの分厚いサウンドとは別次元の勢いと爆発力のある演奏である。重苦しく深刻になりすぎないサウンドの明るさと、細身ながらも瞬発力と適応力を持った小回りの利く優秀なオケ、ソリストによって格別の仕上がりになっている。より内向的な深みや厚みを求める向きには好まれない面もあるかもしれないが、サントリーホールの深い残響をあまり意識することなくオーケストラの直線的なサウンドが伝わり、この表層の表現こそショスタコーヴィチらしいガワをまとっているのだと私は考える。テンポ感が良いのがこのコンビの特徴の一つで、この8番という長大な難曲を力押しではなくしなやかなテンポ感とリズム感で自在に演奏してみせる。生き生きと躍動する2楽章にこうした特徴が表れる。3楽章のスネアは理想的と言っていいだろう。日フィルのスネアは本当に見事なもので、私もライブで聴くときにはいつも惚れ惚れするが、ことさら力むことなく素晴らしい抜けとリズム感なのである。1945年生まれのラザレフはムラヴィンスキーに師事している。学生時代にムラヴィンスキーやコンドラシンの振るショスタコーヴィチに影響を受けたことを語っており、ネーメ・ヤルヴィと同じ第二世代だが、あまりCD化に恵まれてこなかった指揮者だけに、この度の日フィルのシリーズは嬉しい限り。
M.ザンデルリンク指揮/ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団
2016.08.23-26 Sony
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ミヒャエル・ザンデルリンクの交響曲全集、どの曲をとっても本当に素晴らしいのである。全集録音として、とても充実したセットである。8番は、6番に続いて2番目の録音となるが、1楽章冒の第一音から密度の濃い響きで圧倒される。5番と似たスタートであるが、このショスタコーヴィチの進化と深淵を感じさせられるうねりは感激的だ。全体的にやはり速めのテンポで進んでいく。私は、ショスタコーヴィチには速さを求めたい方なので、このザンデルリンク全集は好みなのかもしれない。強奏部での絶望的なまでの悪の響きは、8番という曲の性格を表している。分厚い響きを作り出しており、ソビエト指揮者勢とは違った重苦しさを持っている。3楽章のテンポ感は抜群で、バランスも素晴らしいと思う。全集全般にスネアは重めの音色に食い気味のテンポでザクザクと鳴らしているが、8番3楽章では硬質で高めの音色。存在感のある突き刺さり方で、鳥肌が立つ。個人的なことかもしれないが、今の私のオーディオ環境、チューニングは、低音重視でドスドス鳴る中で高音が突き抜ける、という好みでの仕様になっている。この8番では最も効果的だったかもしれない。ティンパニの低音や大太鼓の重低音がドドドドッと迫る中で、スネアやシンバル、トライアングルがきちっと抜けて存在感を放つ。音響の混ざり合う素晴らしい迫力。この曲を、こうした充実感ある演奏で聴けることは嬉しい。
井上道義指揮/新日本フィルハーモニー交響楽団
2007.12.09/Live Octavia
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日比谷公会堂の交響曲全曲演奏プロジェクト最終日の公演。同日に演奏された15番は、井上曰く「どうしても合点がいかなかった」とのことで9番と共に2006年に日比谷公会堂で再録して全集に収められている。この8番が全集に収められたプロジェクト最後の録音ということになる。井上は新盤のかなり遅めのテンポを「これで良いと言えるところに到達した」と述べているが、全集盤も既に遅い(特に2楽章)。細部の完成度は今一つなのだが、新日フィルの柔軟だが骨のあるサウンドと日比谷公会堂のデッドな響きが合う。打楽器がいずれも素晴らしい響きで、しっかりと胴が鳴るスネアの太いサウンドやデッドなティンパニ、大太鼓、タンバリンなどの皮膜系打楽器は、反響板を取っ払った日比谷公会堂の音響効果を最大限に効かせている。井上と新日フィルがサントリーホールで演奏した新盤の奥深い音響とはまるで違うが、サウンドの傾向性は違わず、いずれも素晴らしい8番である。
井上道義指揮/新日本フィルハーモニー交響楽団
2021.07.03/Live Exton
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エクストンから井上道義の8番。帯には「井上道義 新ショスタコーヴィチ全集」とある。このまま全曲録音となるか。とても楽しみである(既にハードルの高い2-3番をリリース済みという信頼感もある)。さて、井上道義の8番は、私には日比谷公会堂での全曲演奏以来だが、再び新日フィルとの演奏ということで、新たなサウンドが聴かれるか、という非常に興味深い一枚であった。井上道義自ら、ショスタコにサントリーは合わないと言うが、サントリーでのライブ録音。「テンポは今回やっとこれで良いと言えるところに到達したと感じている。作曲家の書いたテンポというのは、正しくもあり、ホールの音響環境による微妙な差を見つけ出すのは指揮者の最も重要なタスクだ」とブログに記しているが、井上道義のやや遅めでしっかりと鳴らすアプローチは当盤でも健在。2楽章は随分と遅いが、曲想を殺すことなく、ショスタコーヴィチのスケルツォらしい不気味で偏ったリズミックさが生きている。録音は深くて丸く残響が多いように感じる。普段どおりにウーファーを入れていると完全に飽和状態。このSACDに記録された芳醇なサウンドをいかに再生するか、贅沢な悩みである。
インバル指揮/東京都交響楽団
2016.09.20/Live Exton
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現時点でインバルのショスタコーヴィチの最高傑作ではないか。都響との再録盤では冴えない録音もある中で、覇気に満ちた充実した演奏。速い。この速さが独特の魅力を生んでいる。疾走する2楽章。しかしインバルらしく雑さのない丁寧な演奏。全集盤では聴かれなかったテンポ感の良さが、例えば3楽章などでとても生きている。オーケストラの能力が高く、速めのテンポの中で取っ散らかることなくまとまっており、爽快なほど。演奏全体ではインバルらしく冷静で、不必要に重くもなければ、派手でもない。ショスタコーヴィチらしい諧謔性や、ある種の不気味さも強調されることはない。スネアの健闘が素晴らしく、しっかりと芯を鳴らしつつザクザクとビートを打ち込んで主役級の存在感。
ネルソンス指揮/ボストン交響楽団
2016.03/Live Deutsche Grammophon
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どこか明るい響きのネルソンスとボストン響によるショスタコーヴィチの交響曲録音プロジェクトだが、この8番はミシミシと唸るような演奏。8番というのがそういう曲だと言われればそうなのだが、ミシミシ系の演奏もまた同コンビは素晴らしい。抜群の安定感。8番のドラマツルギーをしっかりと聴かせ、盤石な構造で弛緩することなく、そして焦ることもなく、この1時間以上の大曲の濃密な世界観を届けてくれる。個人的には、古いソ連の録音ばかり聴いていた身には、こうした優秀録音の現代的で機能的なオーケストラの響き、しかもネルソンスのようにしっかりとツボを押さえてくれる演奏は、とても新鮮で魅力的なのだ。重要なスネアにしても、ソビエト勢の演奏やヤルヴィで育った耳には、全く好みではないはずなのに、なぜかハマる。繰り返して何度も聴いてしまうのは、やはりこの録音の魅力なのだろう。金管も、よくここまで余裕たっぷりに鳴るものだと感心してしまう。2-3楽章のメリハリの効いた演奏は、他では味わえない。同時期ということもあってか、ミヒャエル・ザンデルリンクの全集と聴き比べながら聴くのも面白いだろう。どちらも超優秀録音でオーディオ的な満足があるが、趣向は違う。好みもあるだろう。
V.ペトレンコ指揮/ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団
2009.04.06-07 Naxos
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現代的アプローチで定評のあるペトレンコ全集。全集の中では比較的初期の録音だが、ペトレンコのショスタコーヴィチの評価を決定付けた一枚とも言えるだろう。軽めで美麗なサウンド、機能的なオーケストラで心地良い演奏を届けてくれるが、無論、音楽的な軽さ、表面的な表現とは異なる深い世界観を構築しており、心を打つ名演。8番が持つひたすら重い性格を受け止めつつも、演奏表現としての聴きやすさ、そしてわかりやすさを持つ。メリハリのあるサウンドで、パリッと鳴る管楽器に打楽器、特にスネアの自然な強打が素晴らしい。2楽章の機能美は惚れ惚れする。
ハイティンク指揮/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
1982.12.20-21 Tower Records/Decca
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この客観的な冷徹さはハイティンク全集の魅力だ。やや機械的とも言えるような有無を言わさぬ推進力は、感情を排除したような冷たさが感じられる。とても透き通った美しいサウンド。80年代前半のコンセルトヘボウ管の切れ味も凄まじく、3楽章のキレッキレの響きに痺れる。どこか人を寄せ付けないようなハイティンクのアプローチが良いかたちで表れていると言える。
ムラヴィンスキー指揮/レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団
1960.09.23/Live BBC
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ものすごい熱量の激しい演奏で、ムラヴィンスキーの他の録音と比べても、その熱気においては頭一つ抜けている印象。英国でのライブとあってか、ホールも録音技師も異なる中、珍しいサウンドを聴かせてくれる。一方、全楽章を貫くその研ぎ澄まされた緊張感ある雰囲気は、ムラヴィンスキーならではのもの。60年の英国ならばもう少しまともに録音できていてもよさそうなものだが、音は遠く籠り気味。なお、この1960年ライブは英国初演と表記されているが、公式には8番の英国初演はウッド指揮BBC交響楽団とのことで、付属の日本語解説によれば、ウッドの初演は44年プロムスで行われる予定だったところ、ドイツ軍の空襲によって実現できず、疎開先からのスタジオ放送になったのだという。そのため、当演奏会を「初演ライブ」としているようだ。
コンドラシン指揮/モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団
1969.09.29/Live Praga
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4種あるコンドラシンの8番だが、いずれも素晴らしい演奏だ。この盤が若干劣るとすれば、それは録音のせいかもしれない。強奏部での音の歪みや、音の途切れ、乱れなどは大変惜しい。しかし、それを超えて演奏内容が素晴らしい。ライブ録音だが実に丁寧に表現されており、特に弦楽器のよくまとまった響きには息を呑む。1楽章や4-5楽章に顕著だが、ショスタコーヴィチはふと気付くとオーケストレーションがもの凄く薄くなる。裸にされるような感覚でソロやセクションが際立つのだが、この繊細さを欠くと演奏が成り立たない。そのような視点で難曲であるとも言えるのだが、モスクワ・フィルの鍛え上げられたアンサンブルは、ショスタコーヴィチのダイナミックさと繊細さを持ち合わせている。3楽章の激しさは他の追随を許さない。金管と打楽器群は超強烈である。スネアのソロも素晴らしい。
ロジェストヴェンスキー指揮/ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
1983.10.30/Live BBC
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素晴らしい演奏であることには間違いなく、どこを取ってもその鋭い響きと密度は魅力的なのだが、これがロジェストヴェンスキーの録音だと思うと、あまりに整った演奏に、良くも悪くも期待を裏切られる。同じ1983年に録音された全集盤とは明らかに音の質が異なる。録音の薄さも物足りなさを感じさせる原因の一つで、83年の録音にしてはあまり良い状態ではない。オケのバランスやスネアのリズム感、音作りも好みなのだが、録音の悪さとロジェヴェンへの期待の方向性から、やはり物足りない。
K.ペトレンコ指揮/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
2020.11.13/Live
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2019年にラトルの後任としてベルリン・フィルの常任指揮者となったキリル・ペトレンコによる8-10番の3曲を収めたCD&Blu-rayBOXである。コロナ禍中であり、観客がいなかったり、またはマスク姿であったりするわけだが、これはライブ録音。3曲とも同様の感想だが、まず何よりオケが素晴らしく、これら難曲の前にまったくもって余裕があり、響きが豊かである。リズムの破綻もなく、改めて世界最高峰の技術を目の当たりにする。ジャケットとライナーはトーマス・デマンドという写真家によるもので、特殊な装丁が美しい(CDラックに収めにくい)。ライナーも充実しており、28Pにわたる日本語訳も付属する。ここまでが3曲共通のコメントとする。さて、第8番である。3曲の中では9番に続いて2番目の録音だが、どうやら無観客のようだ。シリアスな空気の中で演奏は進行する。多分に鎮魂的な意味合いを持つ8番において、この静けさは胸に迫るものがある。一方で、ハチャメチャな暴れっぷりは聴かれない。2-3楽章も極めて丁寧にコントロールされているが、面白味に欠けると捉えるかは個人的な好み、ということになるだろう。
スラットキン指揮/セントルイス交響楽団
1988.12.28 RCA/BMG
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ロシア・ソビエト系のオケとはまた違う響きで、ギンギンと華やかに鳴るアメリカのオケ。スラットキンによるショスタコーヴィチの魅力は、この輝くようなサウンドだ。全体的に速めのテンポで切れ味も素晴らしくカッコイイ。轟くような金管の底力も魅力的。明瞭でハッキリした解釈のもと、細かな部分も実に丁寧に作られていて、間違いなく名演の一枚に数えられる。セントルイス響の技術の高さも改めて実感できる。
カエターニ指揮/ミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ交響楽団
2004.10/Live Arts
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まだ全集が発売される前、少しずつリリースされたカエターニの交響曲を聴いて、それほどシンパシーを得なかったところ、8番についてはどうやらかなり良い評判なので聴いてみることに。たまたまそれまでに聴いたディスクが好みではなかっただけなのか、これは素晴らしいということで、結局は全て揃えることに。カエターニの8番はさくさくと軽快なサウンドとテンポで演奏されており、ショスタコ演奏の可能性を感じるものだが、ここぞというときにしっかりと鳴るオーケストラの底力が素晴らしい。SACDで聴くと、大太鼓やティンパニの低音がずんずんと響いて部屋を揺らすので、こういう曲こそSACDで聴くべきだなという感慨がある。拍手あり。ライブ録音。
M.ショスタコーヴィチ指揮/ロンドン交響楽団
1991.01 Collins
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ジャケット写真のマクシムがすごい…!が、演奏もそれに負けじと気合の入ったもの。マクシムの棒にしっかりとロンドン響が応えており、充実した分厚いサウンドを聴かせる。ソビエトの系譜に連なる指揮者として、過剰なまでの濃度と密度。疲れるタイプの演奏であることは間違いない。炸裂する打楽器も楽しい。
M.ショスタコーヴィチ指揮/プラハ交響楽団
2003.04.07-08/Live Supraphon
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コリンズ盤も素晴らしかったが、全集盤も良い。1楽章冒頭の響きは美しい。ロンドン響盤同様に遅めのテンポで濃厚な世界観。これがマクシムの8番なのだろう。決して表面的な演奏に留まらないこだわりが感じられる。そして、8番の強奏部はこうしたドギツイ感じの演奏が似合うのかもしれない。反面、5楽章などは散漫になっているというか、いや、ソロの不安な感じがそう聴かせるのか。デコボコした2楽章が良かった。ショスタコのスケルツォはこうでなければ。2-3楽章はどちらも好演。シンバルの裏打ちが極めて怪しいけれど。
キタエンコ指揮/ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団
2003.06.28-07.02/Live Capriccio
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全集に先駆けて先行発売されていた8番。過不足ない出来で、これといった特徴や際立ったポイントはなくオーソドックスながら、完成度が高い。強奏部での幾分暴力的な響きも、キタエンコがソビエト指揮者の系譜に属する男なのだと実感できる。トロンボーンやチューバの響きはやはり魅力的。スネアのハッキリとした音色、堅実なリズム感も素晴らしい。ところで、このキタエンコ全集の録音データにはライブと記されたものが多いが、編集技術と録音状態は素晴らしく、余計なノイズは感じられない。
バルシャイ指揮/ケルンWDR交響楽団
1994.3.14,1995.10.16 Brilliant
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バルシャイの全集らしい緻密なサウンドで、繊細な弦楽器は特に魅力的だ。どこかドライで輪郭のハッキリした明瞭な演奏だが、真摯なアプローチがとても丁寧な響きを生み出している。カオス的な怒涛の迫力とは別ものなので、そういった刺激には欠けるが、このコンビには不要であろう。
ウィグレスワース指揮/オランダ放送フィルハーモニー管弦楽団
2004.10 BIS
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ウィグレスワースがBBCウェールズ管とBISで進めていた交響曲全曲録音プロジェクトを一旦停止し、4年を空けてオランダ放送フィルとのコンビで再開したときの最初の録音。全体的に遅めのテンポだが引き締まった筋肉質なサウンドと高音質のおかげで随分と格式ある演奏に仕上がっている。3楽章は遅すぎるが、2楽章の重々しいながらも明瞭なサウンドで鈍重にならないのは素晴らしい。相変わらずダイナミクスレンジが広いので、弦楽器だけの演奏の際にはボリュームを上げなければならないわけだが、そういう作業をしていると集中して聴けない。1楽章のスネア・ソロ(練習番号20の4小節目から)はやはりフィールドドラムのようなボスッと鳴る深胴の響きで特徴的。