交響曲第13番 変ロ短調 作品113(バビ・ヤール)

コンドラシン指揮/バイエルン放送交響楽団

シャーリー=カーク(Bs)

1980.12.18-19/Live Tower Records/Philips

('◎')('◎')('◎')('◎')('◎')

半ば伝説となっていた80年のバイエルン放送響とのライブ録音。一般販売されたのはLP盤のみで、CDは特典盤としてわずかな数しか出回らなかったことから高値で取引されていたが、我らがタワーレコードがヴィンテージ・コレクション第二弾で発売(後にSACD化されているので、これから入手するならばSACDがいいだろう)。ようやく出会うことのできたディスクである。音質が素晴らしく、80年の西側オケの音色と相俟って格別な13番となっている。当然ながらモスクワ・フィルとは響きの種類が異なる。コンドラシン亡命後、突然の死のわずか3カ月前のこのライブ演奏は、実に美しい響きなのである。モスクワ・フィルの鋭く突き刺さるようなギラギラした響きも魅力的だが、この深い温かみを持ちながらも表裏一体の恐怖感とアンバランスさを持った音色も感動的だ。それは、年齢を重ねて角が取れて丸くなったというよりも、もっと悟りに近付いたような同じ方向の延長上にあるもののように思える。それは例えばマーラーの1番のライブ盤を聴いても分かることで、最後までコンドラシンは突っ走る指揮者だった。嬉しいことに。そして、そのコンドラシンの13番は、ドイツのオーケストラとの共演によって、これまでとは違った新しい響きを生み出している。歌詞はオリジナル版を使用している辺り、コンドラシンのこの曲へのこだわりが感じられる。バスのシャーリー=カークはイギリス人。素晴らしい歌唱。オーケストラのシリアスで硬質な響きが、一層にこの曲の持つ怒りや警鐘に意味を与えている。鐘はプラッテンのようだ。板を伝う独特の響きが感じられる。

コンドラシン指揮/モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団

エイゼン(Bs)

1967 BMG/Melodiya

('◎')('◎')('◎')('◎')('◎')

コンドラシンのショスタコーヴィチにおける芸術、これを語るには13番と4番への取り組みに耳を澄ませたい。2021年時点でコンドラシンの13番は5種の録音を聴くことができる。録音順に、62年初演盤、62年初演2日後盤、63年ライブ盤、67年全集盤、80年ライブ盤である。当盤は唯一のセッション録音盤にして決定盤。ショスタコーヴィチ演奏史に輝く名盤中の名盤。録音状態も悪くはない。合唱のフォルテ時などに気になる箇所はあるものの、しかし音楽CDとして鑑賞を妨げることはなく、太く重い声質で全曲の中心にあるエイゼン、時にシュプレヒコールのような絶叫を聴かせ、地の底から鳴るような男声合唱、低音重視の13番において、このどっしりと重心の低いサウンド、ゴリゴリと軋む五弦のコントラバスなど、長らく愛聴してきた私としては、この録音状態を含めて完成形の芸術作品だと感じている。素晴らしい。この曲の作曲の経緯やエフトゥシェンコの変遷を知れば、当盤の歌詞が改訂版であることについても、様々な考えが巡る。当時の状況、ショスタコーヴィチが最後まで自筆譜を改稿しなかったことから、強烈な抵抗への意思が感じられる。エフトゥシェンコの詩から五つを選んでいるが、関連性はない。副題はあくまで1楽章のタイトルであり交響曲全体を指すものではなく、ソビエト国内では一般に用いられないとのこと。しかしこの関連性のない五つの詩に対して、交響曲としての説得力を持たせたショスタコーヴィチの芸術性には感嘆する。この一貫した世界観は、オーケストレーションと、打楽器の存在感も欠かせないだろう。オーケストラは録音が安定していることもあってコンドラシン全集の中でも8番と並び素晴らしいサウンドを聴かせてくれるもので、とにかく重心が低く密度が高い。全編を通して印象的な鐘の音色も理想的。強奏部はコンドラシンらしい強烈なサウンドだが、低音の下支えが素晴らしく、耳障りな軽さは一切ない。こんなことが可能なのか、と思えるほど。作曲当時の政治、社会にあって、作曲家の類稀なる才能と演奏家たちの情熱と技術が結晶となった20世紀の文化を代表する録音。

コンドラシン指揮/モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団

グロマツキー(Bs)

1963/Live Venezia

('◎')('◎')('◎')('◎')

改訂版初演とされているライブの録音だが、録音年以外に月日のデータはない。エヴェレスト盤LPには1965年11月20日の表記あり。私が初めて聴いたGPR盤には1962年表記。オーマンディ盤のライナーによれば、ソ連国内では62年12月18日の初演後は、63年と65年に改訂版が演奏されたのみとあるが、当盤がそのどちらかということだろう(初演の2日後には非公式の再演が行われているのは周知のとおりだ)。3-5楽章が1トラックだったが、ヴェネツィア復刻盤では楽章ごとに切られており5トラック。初演メンバーによる貴重な録音であり、歴史的、資料的価値は高い。一方、62年の初演録音と比べて粗も目立つことから、コンドラシンの当時の録音を聴くのであれば62年2日目盤が十分であろう。

コンドラシン指揮/モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団

グロマツキー(Bs)

1962.12.20/Live Venezia

('◎')('◎')('◎')('◎')('◎')

12/18の世界初演から2日後に行われたライブの録音。ヤルヴィ盤のライナーによると、この演奏は非公式で行われたとある。当然ながら初演とほとんど同じ演奏で、表現に気になるほどの差異を見つけることはできない。録音状態はこちらが良い。ロシアン・ディスクの復刻盤。とてつもない緊張感と、鬼気迫るグロマツキーの歌声がただならぬ雰囲気。モスクワ・フィルの鋭く強烈なサウンドがバシバシと突き刺さってきて、初演ライブの衝撃が伝わってくる。歌詞は改訂前。エイゼン盤では落ち着いた演奏を聴かせていて、それがスタンダードを極めているのだが、こうして粗野でアクの強い演奏を聴くと、この曲にさらなる可能性を見出し、なるほど、と納得させられる。そうすると、ロジェストヴェンスキーの乱暴極まりない演奏もまた魅力的に思えてきたから不思議だ。ところで、このヴェネツィアから出た復刻盤の4枚組。通常のBOXではなくCD4枚を一面に並べたLPサイズの紙ケースに収納されている。CDラックには入らないので、LPと一緒に本棚に。

コンドラシン指揮/モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団

グロマツキー(Bs)

1962.12.18/Live Moscow Conservatory

('◎')('◎')('◎')('◎')('◎')

初演盤。よくぞこの録音が残っていてくれた。ヤルヴィ盤ライナーには公式には録音されなかったとの記述がある。演奏については上記の2日目盤と同様と考えていいだろう。音質は2日目盤のほうが良いが、13番が生み出された経緯やショスタコーヴィチとコンドラシンとの出会い、エフトゥシェンコとの友情(そして改訂をめぐる対立)などに思いを馳せると、特別なディスクである。なお、ケースはブックレットと一体の紙で作られたなかなかオシャレなものだが、作りが雑で、接着剤の跡がブックレットに付いているだけでなく盤面にも接着剤に触れたらしき指紋が…。

ロジェストヴェンスキー指揮/ハーグ・レジデンティ管弦楽団

アレクサーシキン(Bs)

1998.11.08/Live Residentie Orkest

('◎')('◎')('◎')('◎')('◎')

CDプレーヤーに掛けて数分、瞬く間にこの演奏の虜になった。レジデンティ管は世界の名だたる名門オケと比べてさすがに見劣りするが、この13番の何と魅力的なことか!とてもすっきりと整理されてわかりやすい。テンポはやや遅めでサウンドも重量級ながら、重苦しさはなく、音楽がしっかりとつながりをもって流れていく。曲の構造は当然オペラとは違うものだが、ストーリー性を感じさせる。ロジェストヴェンスキーらしい強烈な強奏、アクセント、そして各楽器の際立った存在感がある。例えば1楽章のドアを叩く場面は、何だ、この大太鼓は!ピアノじゃないのか。圧倒的な存在感。チェレスタも前面に出てきて存在感たっぷりだ。また、ぶりぶりと唸る金管低音も実にロジェヴェンらしく随所で聴かせているが、大虐殺が始まるとこれはもう紙一重の強烈な音色を聴かせてくれる。ソビエト文化省響のようなキンキンと耳に痛い音色ではないが、オケも打楽器も充実したサウンドで、残響までたっぷりの銅鑼やティンパニなどが大音量で鳴り響く様には興奮せずにはいられない。一方で、冒頭部分や後半楽章の弱奏部の弱々しいまでの表現がとても切ない。今にも泣き出しそうなアレクサーシキンの艶やかな声色には、思わずゾッとする。こうしたコントラストが歌詞の内容に伴って浮き出てくると、大きな共感をもってこの曲を聴けるようになる。ただし、録音状態に関してはあまり良いとは言えない。残響が大きすぎて楽器間の分離がなくこもっている。ちなみにこのCD、レジデンティ管の自主制作盤で、オケのホームページから受注をしていた。当時まだ見ぬロジェヴェンのショスタコ音源なんて、と嬉々として注文したわけだが…、いつまでたっても届かず入手に苦労した覚えがある。

ロジェストヴェンスキー指揮/ソビエト国立文化省交響楽団

サフューリン(Bs)

1985 BMG/Melodiya

('◎')('◎')('◎')('◎')('◎')

この曲に何を求めるかで変わってくるとは思うが、ロジェストヴェンスキー盤も一つの回答を見せている。重厚で格調ある演奏とは無縁なのは常だが、それにしてもここまで凄まじい13番も珍しいだろう。「ここまでやるか」という問いに平然と「そういうものです」と答えてくれるロジェストヴェンスキー全集。ソビエトのオケに求める刺激がほとんど全て詰め込められている。強烈なアクセント、楔を打つような打楽器、べったりと容赦なく押し込んでくる金管楽器。オケは冴えたサウンドで、切れ味抜群。2楽章「ユーモア」は、こういう楽想こそロジェヴェンの得意とするところだろう。そもそも「ユーモア」と呼ぶほどユーモラスではなく、もっと捻くれた文学のようなユーモアなのだが、それをロジェヴェンは力業でやってのける。素晴らしい。5楽章「立身出世」の安っぽいトランペットの音色も最高である。各ソロも素晴らしいし、弱奏部での丁寧さも魅力的だ。消え入るチェレスタの美しさよ。しかしこの録音の悪さは一体何だ。男声合唱が酷いことに。想像を遥かに超える音量と圧力の前に録音機器が正常に作用しなかったものと思うことにする。

ウィグレスワース指揮/オランダ放送フィルハーモニー管弦楽団

ローテリンフ(Bs)

2005.04 BIS

('◎')('◎')('◎')('◎')('◎')

BISの優秀録音によってもの凄いダイナミクスレンジを誇るウィグレスワース全集。13番は音響が非常に面白い交響曲で、バスの独唱と男性合唱、加えてコントラバスは五弦指定で10-14、バスクラリネットにコントラファゴット、トロンボーンとチューバ、ティンパニ、そして大太鼓、銅鑼といった低音楽器がサウンドの要となっている。ウィグレスワース全集の長所でもあり一方やっかいな点でもある録音(つまり、レンジが広すぎて聴く環境を選ぶ。ピアノが聴こえないと思ってボリュームを上げるとフォルテで大変なことになる)を楽しむには、もうバビ・ヤールしかない。というわけで、もうボリュームのコントロールはあきらめて、この大編成オケによる低音世界をウィグレスワースで楽しもう。音響面ばかり書いたが、ウィグレスワースの冷静な演奏も素晴らしいもので、この透明感と冷たさはゾッとするほど美しい。1楽章では再現部でぐっとテンポを落とすなど、こうした表現は他の楽章でも聴かれるが嫌味はなく、引き伸ばされたようなかなり遅いテンポの中、音の洪水に飲まれて身を任せてみよう。大太鼓と銅鑼、激しいアクセントのティンパニの中毒になり、ここから抜け出せなくなる。13番の打楽器の面白いところの一つは、ティンパニと大太鼓に32分音符を4発叩かせてその後の頭で銅鑼、というどう考えても最高に素晴らしい銅鑼の出番だが、この音質、音響は格別だ。SACDによる13番の中でも格別に美しいと感じる。

M.ショスタコーヴィチ指揮/プラハ交響楽団

ミクローシュ(Bs)

1995.02.01/Live Supraphon

('◎')('◎')('◎')('◎')('◎')

プラハ響のギリギリのサウンドが妙な緊張感とリアリティを生むマクシム全集の中の傑作、13番。ミクローシュのオペラのような荒々しい息遣いが良いのだ。そしてマクシムの唸り(叫び)声よ!これはもうマクシム唸り声パートとして音楽の一部でいいだろう。「親の七光り」の輝きはあるのかないのか。偉大なる父ドミトリーの血が半分と、物理学者の母ニーナの血が半分。ルックスも親譲りで優男。マクシムの意気込みに満ちた輝かしい演奏。ギャンギャンと響く薄い鐘の音色と、往年のモスクワ放送響のようなプラハ響のギシギシと直接的なサウンドに、妙にしゃりしゃりと響く録音。非常にアクティブなソロとオケに心が湧き踊る。1楽章にこの演奏の特徴がよく表れているが、2楽章のテンションの高さと、一転して3楽章のどす黒い雰囲気、カッカッカッと幽かに時を刻むようなカスタネットとウッドブロックの響きも聴き応えがある。

井上道義指揮/サンクトペテルブルク交響楽団

アレクサーシキン(Bs)

2007.11.11/Live Octavia

('◎')('◎')('◎')('◎')('◎')

日比谷公会堂の交響曲全曲演奏プロジェクト4日目。前プロが10番という凄まじいライブ。まったく疲れを見せない素晴らしい迫力で、日比谷プロジェクトの最初の2週、ペテルブルク響の演奏では最も好きだ。あちこちで音程やアンサンブルは崩れており、現代的な洗練さとはほど遠い無骨なサウンドが魅力的。バス独唱と男声合唱、増幅された低弦、という一見マッチョな編成ながら、その実、繊細な祈りが響く美しい曲である。1楽章はゴリゴリの骨太サウンドが炸裂する。低音楽器とティンパニ、大太鼓の生み出すドラマチックな響きと銅鑼の炸裂音が素晴らしい。2楽章などはいかにも響きが薄いが、例えば低音を立体的に聴かせるウィグレスワースのSACDのような超高音質ではないものの、日比谷公会堂のデッドな響きが決してマイナスにはなっていない個性的な攻めのサウンドがある。2000年代の日本でソ連的な。縦線は微妙にずれるものの、こうした井上のちょっとした遊びのような歌い方や細部の表現が楽しい。13番は暗い曲ではない、と思う。プロジェクトが始まって1週目の土日(1-3番、5-6番)、そして2週目の土曜(7番)を経て日曜(10,13番)、この素晴らしい名演で一つのフィナーレを迎えた。

テミルカーノフ指揮/ソビエト国立交響楽団

セレズネフ(Bs)

1983.06.16/Live Brilliant

('◎')('◎')('◎')('◎')('◎')

さて、どう評価していいかわからない魅力的なディスクの登場だ。ソビエト時代のテミルカーノフは数々の名演を残しているのだが(1,5,10番など)、ここに一つまた素晴らしい録音が…。初めに言っておこう、録音は悪いし、ソロは落ちるし、バランスは滅茶苦茶だし、オケとバスが噛み合ってないところもたくさんある。客席ノイズもうるさい。難点ばかりだ。これは酷い。しかしなぜか繰り返し聴きたくなる不思議な魅力にあふれているディスクなのだ。贅沢なことを言えば、コンドラシンのように何種もの名盤を残していると、自分のお気に入り以外の盤はあまり聴かなくなってしまう。13番と言えば長らくコンドラシンの全集盤とロジェヴェンのレジデンティ盤ばかり聴いていたものだが、その中にあってこのテミルカーノフの13番がベストに食い込んでくるのは、圧倒的な個性があるからだ。もの凄い爆走。特に2楽章は卒倒ものだ。この曲が好きで聴き込んでいる人は怒り出すんじゃないかと心配してしまう。この凄まじい13番を録った(このBOXの性質からして、日常的なコンサートの記録が掘り起こされたというべきか)指揮者が、後年にまた一つ素晴らしい13番を録音しているのも感慨深い。

テミルカーノフ指揮/サンクトペテルブルク・フィルハーモニー管弦楽団

アレクサーシキン(Bs)

1996.05.16-17/Live RCA/BMG

('◎')('◎')('◎')('◎')('◎')

ショスタコーヴィチ生誕100周年記念で多くのディスクが発売された2000年代半ば。テミルカーノフの来日に合わせて充実した日本語ブックレットと洒落たジャケットデザイン(背面側)にて、日本先行販売。解説は一柳富美子先生。ソビエト国立響との強烈なライブと比べる必要もないだろうが、録音が良く、荘厳で華麗な響きが鳴りわたる。必要以上に重苦しくはないが、重厚感あるサウンドで、アレクサーシキンも男声合唱も実に美しい。2楽章が速いのは相変わらずで、テミルカーノフの解釈なのだろう。技術的にも申し分なく、短めの音ですいすいとドライブしていく様は心地良い。5楽章のどこかロマンチックな響きも良い。

N.ヤルヴィ指揮/エーテボリ交響楽団

コチェルガ(Bs)

1995.11 Deutsche Grammophon

('◎')('◎')('◎')('◎')('◎')

ヤルヴィの13番は、ある意味では非常にヤルヴィらしい客観的な演奏で、とても綺麗にまとまっている(可はあるが不可は特にない)反面、平凡でもある。録音が良く、いつもながら打楽器の存在感が際立つ。大太鼓とトライアングルのアンサンブルも良いし、銅鑼にはティンパニも大太鼓もベストパートナーだ。コチェルガの円やかで優しい声色と共に、沼に沈むようなまったりとした部分もある一方、リズミックなヤルヴィらしい歯切れの良いサウンドは格別。スネアとタンバリンのコンビはいつだって素晴らしいのだ。ソビエト勢の演奏はもちろん素晴らしいのだが、どうしても強烈な金管・打楽器、そして録音の悪さに頭が痛くなる中で、ヤルヴィはどこか柔らかな広がりのある分厚い響きを聴かせてくれる。鐘の音色は、ゴ~ンとマイルドで奥深い。

ハイティンク指揮/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

リンツラー(Bs)

1984.10.14-15 Tower Records/Decca

('◎')('◎')('◎')('◎')('◎')

ハイティンク全集最後の録音となった13番。真っ直ぐでストイックなサウンドで、1楽章の透徹した響きは凍えるロシアの大地と宗教的な煌めきさえ感じさせる。チューブラーベルの音色が良い。堅い響きがオケと混ざらずに印象的。余計な演出も妙な癖やこだわりもないストレートな演奏で、ある意味では面白みのない生真面目なハイティンクのスタイルの中に神聖さを感じる。堅い響きと強烈なアクセント、細部までしっかりと構築されたコンセルトヘボウの演奏には惚れ惚れとする。

コフマン指揮/ボン・ベートーヴェン管弦楽団

シュトンダ(Bs)

2005.11.28-30 MDG

('◎')('◎')('◎')('◎')('◎')

室内的な響きが魅力的なコフマン。大編成を要する13番においても、室内編成のような繊細でダイレクトな音色が聴こえてくる。ショスタコーヴィチの場合は大編成であっても曲全体の中でトゥッティは少ないので、こうしたコフマンのアプローチ、MDGの録音センスが生きてくるのだろう。録音のイメージも深く重低音を強調するものではなく、表面的な派手さはないものの、充実した渋く美しい響きが格別だ。打楽器もクラシックな音色が素晴らしく、タンバリンとトライアングルは特筆すべき。コフマンは36年生まれの巨匠で、ウクライナ出身。キエフの峡谷バビ・ヤールを舞台にした同曲への背景は想像するばかりだが、コフマンのサウンドは唯一無二だろう。

ポリャンスキー指揮/ロシア・ステート交響楽団

マーティロシアン(Bs)

1996.11 Chandos

('◎')('◎')('◎')('◎')('◎')

ステート響(旧ソビエト文化省響)の鋼鉄のサウンドが健在である。これだ!硬質で鋭いキレッキレのサウンド。音程が合っているのか合っていないのか、管楽器のべたっとした鳴り、ピアノでもフォルテでも抜群の存在感のあるティンパニのデッドで強烈な音色、遅めのテンポでぐりぐりと奏でるオケには思わず喝采を贈りたくなる。一方、演奏そのものはロシア臭さとは一線が引かれており(というかソビエト文化省響はロシア臭さとはまた違った現代ソ連的サウンド?)、カッコイイ。バスは綺麗で、合唱も細面な印象。ステート響の鋼鉄サウンドが聴けるだけで私はもう満足している。

スラドコフスキー指揮/タタールスタン国立交響楽団

ミグノフ(Bs)

2016 Melodiya

('◎')('◎')('◎')('◎')('◎')

メロディヤのスラドコフスキー全集から13番。スラドコフスキーの良い部分が表れている名演であり、録音は特別良いというわけではないが、あまり響かない直接的な音色が聴きやすい。燃焼度の高い演奏で、オケの技術力の不足をカバーするだけの魅力がある。いたずらにうるさいということはないが、オケはよく鳴っており、ギシギシと激しく弾き込む弦楽器や、大太鼓、銅鑼などの大型打楽器の迫力が素晴らしい。鐘は釣鐘だと思うが、これがまた耳に痛いギャンギャン系の音色。節操なく鳴りまくるスネア。2楽章は速めのテンポで乱暴に突き進んだ上に、練習番号51からはさらにテンポアップしてテンションが高い。

キタエンコ指揮/ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団

コットチニアン(Bs)

2004.01.20-24,07.13-17 Capriccio

('◎')('◎')('◎')('◎')

コットチニアンの優しい声と深い音色の録音特性もあって、実に丁寧な仕上がり。1楽章はダークサイドが物足りないものの、演奏は充実している。鐘の音色が非常に美しい。カンカンと金属的な響きをさせる部分と、まろやかにゴーンと響かせる部分とで表情の違いが見える。キタエンコの声楽付き交響曲が全てそうであるように、すっきりと整理されており、そして丁寧で、我々が単純に思い描く感動とは少し違った満足感を与えてくれる。録音が素晴らしく、この交響曲の微細な表情まで我々に届けてくれる。

ネルソンス指揮/ボストン交響楽団

ゲルネ(Bs-Br)

2023.05/Live Deutsche Grammophon

('◎')('◎')('◎')('◎')

2015年からのネルソンス交響曲全曲録音プロジェクトがこれにて完成。ラストを飾ったのは13番。いささかもブレずに駆け抜けた8年であった。演奏技術が凄まじく、録音もまた素晴らしい。ライブだがまったくノイズや瑕疵を感じることもなく、整然とした演奏。あまりにすっきりとしているので軽く感じることもあるが、真摯にショスタコーヴィチのスコアと向き合った記録であるのだろう。低音がバリバリと鳴る13番において、殊更に強調することもなく、またヒステリックになることもなく、いつものネルソンス。鐘の当たり所が悪いときを除けばライブということも忘れる安定感。個人的には2楽章が聴きどころで、安定の中に驚きがある。タンバリンやスネアの装飾音などがしっかりと芯のある響きを届かせており、アンサンブルの中でとても美しい。しかしこの大袈裟にならないストイックというかドライ、客観的な響きが良い。それにしてもこの交響曲全曲録音、録り方、順番が一筋縄ではいかず、CDをラックに並べようじゃないかというときに困る。1番と15番、2番3番と12番13番がカップリングなのである。まるで手塚治虫の『火の鳥』のように、両極端の表現、というものを意識した順番であることは間違いない。初めに10番、そして5-8-9,4-11,6-7,1-14-15という呼応する配置でリリースしたのだ。ショスタコーヴィチを俯瞰し、そして再構築し、現代にその響きを甦らせた録音である。

ソンデツキス指揮/サンクトペテルブルク・カメラータ,リトアニア室内管弦楽団

バイコフ(Bs)

1994 Cugate

('◎')('◎')('◎')('◎')

ソンデツキス追悼企画の復刻盤から。元はソニー。サンクトペテルブルク・カメラータはエルミタージュ美術館のオーケストラ。リトアニア室内管との合同オケによる演奏。ソンデツキスのショスタコーヴィチは、細身でローカルな音色のオケと速めのテンポでサクサクと演奏されるイメージだが、13番も決して重くならずに軽やかで美しい。明瞭な輪郭とアクセントによって生き生きとした演奏になっている。スネアの乾いた音色と迷いのない強打が良い。

プレヴィン指揮/ロンドン交響楽団

ペトコフ(Bs)

1979.07 EMI

('◎')('◎')('◎')('◎')

70年代のプレヴィンとロンドン響による豪華なサウンドが炸裂する名演奏。贅沢な響きである。70年代頃のざらついた録音と容赦ない尖ったサウンドが魅力的であり、それがロンドン響の確かなアンサンブルの中で輝きを放つ。個人的にはプレヴィンは録音の性質もあり70年代が良い。ショスタコーヴィチの録音も少なくはないが、13番はその中でも名演。合唱は録音のせいかやや薄いものの、オケがしっかりと底支えして、独唱が生きている。テンポは遅めだが必要以上に重くならなず、ドライブ感は削がれることがない。

ムーティ指揮/シカゴ交響楽団

チホミロフ(Bs)

2018.09/Live CSO Resound

('◎')('◎')('◎')('◎')

シカゴ響のライブ録音。それはもう素晴らしいサウンドで、世界最高峰のオーケストラの実力を堪能できる。重量級の金管楽器は、パワーの桁が違う。力強く、そして華麗。遅めのテンポを取っておりかなり重たいが、シカゴ響のサウンドそのものが明るいのだろう、飽きはない。しかしムーティのこの神妙なアプローチには疲れる。超絶サウンドを生かしたド派手な演奏を期待したいが、内向的で地味。まあ、そういう曲なのだと言えばそうなのかもしれないが…。もったいないと感じる。

バルシャイ指揮/ケルンWDR交響楽団

アレクサーシキン(Bs)

2000.09.011,14 Brilliant

('◎')('◎')('◎')('◎')

バルシャイ全集らしい巧緻性の高い演奏と、WDRの渋いサウンドが魅力的な一枚。繊細で高密度、雑味のないオケ。弦楽器や木管低音のミシミシと中身の詰まった音色が良い。ティンパニに導かれる大太鼓と銅鑼、そして弦、木管、金管と低音楽器が鳴りび響けば、それはもうバビ・ヤールの世界だ。アレクサーシキンは言わずもがな、男声合唱の冷静さも良い。WDRのスナッピの詰まったスネア、乾いたタンバリンの音色も好きだ。

オーマンディ指揮/フィラデルフィア管弦楽団

クラウゼ(Br)

1970.01.21,23 RCA/BMG

('◎')('◎')('◎')('◎')

1970年のアメリカ初演直後に収録されたセッション録音。ライナーによれば、ソ連国内では初演と63年、65年の歌詞改訂版の計3回しか演奏されないうちにお蔵入りになったとあるが(実際には初演は2日後に非公式で再演されている)、国外でオーマンディとフィラデルフィアがこの曲を復権させたと考えることもできる。事実、フィラデルフィア管とショスタコーヴィチ初演の歴史は長く、またオーマンディの貢献も計り知れないものがある。RCAの13-15番はいずれもライナーが充実しており、オーマンディのショスタコーヴィチへの追悼コメントや作品へのコメントなど、読み応えがある。録音状態は良好。当時の残響の少ない録音の中、力強いフィラデルフィア管のサウンドと迷いのない曲運びが説得力をもたらす。重めの響きだが、鈍重にはならず引き締まった躍動感を感じさせるのはオケの技術力の賜物だろう。ソロはバリトン。アレクサーシキンばかり聴いていると、こうしたまろやかで明るめの声質は新鮮。

カエターニ指揮/ミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ交響楽団

クディノフ(Bs)

2006.03 Arts

('◎')('◎')('◎')('◎')

優秀録音とSACDの素晴らしい音質によって非常に奥深いサウンドを実現している。カエターニ全集全般に言えるが、録音の奥深さの反面、演奏は明るく美麗な音色なので、重くも暗くもならない。バスもまろやかで、美しい。金管が力強く鳴っても、あくまでゆとりのあるふくよかなサウンドで、強奏部では重低音が高音質でどどんと響く。素晴らしい音響。拍手なし。セッション録音と思われる。

タバコフ指揮/ブルガリア国立放送交響楽団

ペトロフ(Bs)

2012.11 Gega New

('◎')('◎')('◎')('◎')

無骨で枯れた響きが特徴のタバコフ全集第5弾。無骨、素朴、粗野、土臭い…、そんな評価が聞こえてくるタバコフとブルガリア国立響だが、これが本当に響かない(あえて表現として。良い意味です)。13番は、ウィグレスワースのような優秀録音で低音がゴンゴンと鳴るだけでその音響的快感が凄まじい曲だが、対極のようなタバコフのガサガサしたサウンドでこうも感動するとは思わなかった。1楽章の再現部(練習番号20-21)のカオスが凄いことに。金管、打楽器の猛攻の裏で弦楽器と木管の高音、トリルが脳天に突き刺さる。そして意外とタバコフはスケルツォ楽章が小気味良く、13番も2楽章が素晴らしい。響かない。残響の全くないムチ、スネアが良い。トライアングルでさえ響かず、金属の塊のような音色に(だがそれが良い)。

V.ペトレンコ指揮/ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団

ヴィノグラードフ(Bs)

2013.09.27-29 Naxos

('◎')('◎')('◎')('◎')

ペトレンコの割とあっさりした曲作りの中で、まろやかな優しい響きのオケと明瞭でわかりやすい(時に爽やかでさえある)合唱の融合が他にはないバビ・ヤールの世界を奏でている。現代的、という表現が相応しいかどうかはわからないが、「歌詞」をもってそのものズバリのテーマを表明している曲ではあるものの(そもそもエフトゥシェンコの詩に感銘を受けて作曲されているので、歌詞ありきである。ショスタコーヴィチも自嘲を込めて「音楽はどうでもよい。重要なのは歌詞だ」と日記に書いている)、ペトレンコのアプローチは過去には縛られない。1楽章再現部のわかりやすい盛り上がりに明快に響く木管とヴァイオリン、ヴィオラの高速パッセージなど、音楽の推進力が楽しい。2楽章は速めのテンポで、技術の下支えによって自由に跳び回るかのような軽快さである。3-4楽章も重苦しくなりすぎず、しかし中身の濃いサウンドで存分にオケが鳴る。爽やかなフルートのテーマに始まる(しかし爽やかではない)5楽章はいかにもペトレンコ全集の良い部分が出ている。

シュウォーツ指揮/ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団

サックス(Bs)

2003.03.17,20-23 Avie

('◎')('◎')('◎')('◎')

ナクソスに「ステパン・ラージンの処刑」の名盤を残すシュウォーツの13番。速めのテンポでサクサクと軽い。シュウォーツは明るいサウンドでわかりやすい演奏をするイメージがあるが、サックスのやや癖のある歌い回しと相俟って13番には軟派すぎるか。2楽章の軽さは聴きものだ!どうか怒らずに、これは聴いておくべき。リズム感も良く、タンバリンの職人的な技巧も素晴らしい。だんだんと癖になってきて、平凡な演奏を聴くよりよほど面白く、これはこれでありだと思えてくる。いや、むしろ2楽章はこういう曲なんだ、きっと。引用元の「イギリスの詩人の詩による六つのロマンス」第3曲「処刑の前のマクファーソン」も聴いておこう!(ロジェヴェン全集でサフューリンが歌っているぞ!)

カラビツ指揮/ロシア・ナショナル管弦楽団

ツィブルコ(Bs)

2017.11 Pentatone

('◎')('◎')('◎')('◎')

ロシア・ナショナル管のショスタコーヴィチ・シリーズから。これまでプレトニョフ、V.ユロフスキー、クライツベルク、P.ヤルヴィ、ベルグルンドと録音してきて、例のごとく歌付きが残っている中で13番。異なる指揮者によるオーケストラ主体での全集企画というのもショスタコーヴィチでは初の試みだが、ロシア・ナショナル管のスマートで若々しい演奏が一貫して心地良く、全集としての統一感はある。カラビツの13番は、現代的、と言えばそうなのだが、随分とスマートにまとめ上げており、切れ味あるサウンドと速めのテンポによって、実に洗練された演奏。サウンドは硬質ながら、良くも悪くも軽い。録音の良さとこの切れ味を評価したい。

ヤンソンス指揮/バイエルン放送交響楽団

アレクサーシキン(Bs)

2005.01.12-15 EMI

('◎')('◎')('◎')('◎')

とても綺麗にまとめられた演奏で、聴きやすい。録音が良いことはもちろん、オーケストラの美麗な響きと流れるような曲解釈がマッチしており、この曲の全体像を俯瞰的に掴むことができる。やや歌い回しが大袈裟であったり、細部の演出はヤンソンスらしいこだわりがあるのだろう。しかし一体感という点では5楽章までまとめて綺麗に収まったという印象。

ショルティ指揮/シカゴ交響楽団

アレクサーシキン(Bs),ホプキンス(朗読)

1995.02 Tower Records/Decca

('◎')('◎')('◎')('◎')

各楽章の演奏前に朗読が入る。朗読は俳優のアンソニー・ホプキンス。純粋に交響曲として通して聴きたいときには邪魔になるが、面白い試みであり、またホプキンスの声も良いので、こういうディスクがあってもよいだろう。演奏そのものも我々がイメージするバビ・ヤールではなく、整然すぎるほど整然としたもので、多くの点で異例のディスクと言えるだろう。バスはお馴染みのアレクサーシキンなので、余計に面白いと思う。シカゴ響は文句の付けようのないサウンドとほとんど完璧なアンサンブルだが、ショルティとシカゴのコンビの演奏でよく聴かれるように、歯切れの良い明るい音色とあまりに整った造形のために、ダークサイドが足りない(というか、ない)。「苦しそうな音色」は、実際に演奏するのが苦しかったりするのだが、当然シカゴ響は余裕の響き。切実な叫びは伝わってこない。まるで新しい曲のように感じられる新鮮さがある。

スロヴァーク指揮/スロヴァキア放送交響楽団

ミクローシュ(Bs)

1990.11.22-28 Naxos

('◎')('◎')('◎')('◎')

ナクソス初期のスロヴァーク全集から。渋いサウンドで、パワーには欠けるもののスロヴァークとスロヴァキア放送響の本来の実力が発揮された一枚と言えるのではないか。ナクソス初期においてスロヴァークによるショスタコーヴィチ全集がどのような経緯や環境、条件で録音されたのかはわからないが、いかにも低予算の廉価版といった扱いはこのコンビには本来もったいない。ミクローシュの独唱は格好良い。ヒロイックなイケメンボイス。

M.ザンデルリンク指揮/ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団

ペトレンコ(Bs)

2018.02.10-14 Sony

('◎')('◎')('◎')('◎')

ミヒャエル・ザンデルリンクの13番、素晴らしい響き!改装したドレスデン・フィルの本拠地「クルトゥーアパラスト」のサウンドを楽しむことができる素晴らしい録音。演奏もとても充実しており、深みのある豊かな響きとバランスで優れている。オーケストラとバスのバランスも、個人的にはこのぐらいが好き。実際にコンサートホールでのオーケストラとバス独唱のバランス作りは難しいところがあるし、この曲に限らず、不自然なまでに独唱が切り取られて前面に出ている録音はあまり好みではない。打楽器は細かな芸も近くに聴こえる。ティンパニ、大太鼓と銅鑼の相性も素晴らしく、スネアも相変わらず良い仕事をしている。4楽章を支配する不気味さなど、巧緻に組み立てられた世界観が感じられる。しかし、1楽章練習番号20からのフレーズ終わりの4分音符を短く切る表現には違和感を覚える。じゃんじゃん、と強調されるのはどうにも滑稽だ。

アシュケナージ指揮/NHK交響楽団

コプチャク(Bs)

2000.10.19/Live Decca

('◎')('◎')('◎')

NHKホールでのライブ録音。アシュケナージがN響の常任指揮者に就任する前の演奏。2006年録音の14番と共に同時リリース。分売は国内盤のみなので、海外では全集で聴くしかないという貴重なディスク。N響は良いオケだし録音も良いのだが、これといった個性や特徴のない演奏。アシュケナージのもったいぶらいない指揮は好感が持てることが多いが、これは味気ないとも言える。低音が続くこの曲において録音が良ければそれなりに音響的満足感はある。

ロストロポーヴィチ指揮/ワシントン・ナショナル交響楽団

ギュゼレフ(Bs)

1988.01 Warner/Erato

('◎')('◎')('◎')

なぜロストロポーヴィチはこうなるのだろう、という演奏。ロストロポーヴィチは生前のショスタコーヴィチと親しく過ごした音楽仲間であり、チェロ協奏曲の献呈とその初演やレコーディングも素晴らしいものがあるが、思い入れの強さゆえか客観性を欠くのか、こだわりが強すぎるのか、もっと素直に楽譜どおりに演奏すればよいのに、と。ナショナル響の力不足もあろうが、音が薄く有機的でない上に、2楽章で謎の溜めで表情を付けたりと余計な演出が気になる。

シャローン指揮/デュッセルドルフ交響楽団

シャーリー=カーク(Bs)

1991.02 Koch Schwann

('◎')('◎')('◎')

演奏がそもそも平面的で貧弱なのか、録音がこの弱点をカバーしてくれることはない。91年の録音ならばもう少し充実した響きを期待したいところだが、オケも合唱も面白みに欠け、リズムも疲れているかのようにしっくりこない。ティンパニや大太鼓の打点がはっきりしているのは良い。3楽章後半は管楽器が持ち直しておりなかなかの密度。

インバル指揮/ウィーン交響楽団

ホル(Bs)

1993.05.13-17 Denon

('◎')('◎')

まったく力強さを感じられない表面を撫でたような演奏。覇気が感じられないばかりか、曲の持つエネルギーを削いでいる。ここはフォルテでしょうが!と言いたくなるストレスと共に聴くことになるが、そもそも強弱の問題ではない。薄い。