交響曲第10番 ホ短調 作品93
N.ヤルヴィ指揮/スコティッシュ・ナショナル管弦楽団
1988.05.12 Chandos
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クールで機能的な演奏。内面の狂気(または狂喜)を描写しつつも、俯瞰した機能性と客観性が心地良い一枚。ショスタコーヴィチに求める「内面的に緻密な暗さを伴った響き」は感情的になりがちだが、荒れ狂うスコアを見事に俯瞰してみせたこのディスクには、爽快感さえ感じる。2楽章のスネアは、その迷いなきストレートな表現に快感を得る。鋭く突き刺さるような音で4分3秒の疾風。この曲においてはスネアが極めて大事な位置を占めているが、ソロの連続で16分音符の連打。微妙なテンポの狂いが命取りとなり、どうもしっくりこない演奏が多い中で、余計なアクセントでごまかすこともなく、スコティッシュ管のスネアは硬質な音で一瞬の乱れもなく抜群のテンポ感で叩き切る。凄まじい音量で。しかし、それでもオケとのバランスが崩れているわけではない。そこがヤルヴィの素晴らしいところだ。きちんと統率が取れている。強烈な金管も魅力。最後の一音の後の余韻は鳥肌が立つ。他の楽章においてもホルンの強奏が心地良く鳴り響く。打楽器奏者出身の指揮者ゆえなのか、圧倒的に打楽器びいきの演奏に、私は当盤をベストとしたい。
ロジェストヴェンスキー指揮/読売日本交響楽団
2016.09.26/Live Altus
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2018年に亡くなったロジェストヴェンスキー、晩年の来日ライブ録音。2019年に発売された当盤については、ライナーノーツ(坂入健司郎氏)に詳しく、また演奏への感想や受け取り方もまったく同意するところである。「理論を超越して我々の心を締め付け、総毛立たせる」。もの悲しさや残虐さなど、晩年のロジェヴェンの振る10番とはこういうものか、というのが伝わってくる。遅めのテンポでどっしりと構え、1982年4月10日のソビエト文化省響との荒削りなライブ録音も素晴らしかったが、あの一気呵成の迫力とは異なる、濃密で深淵な演奏。録音も素晴らしく、サントリーホールでのライブであるが、きめ細やかなオーケストラの丁寧な音が聴こえてくる。「もの悲しさ」は、一つこの録音の大きな特徴かもしれない。ロジェヴェンのショスタコがもう聴けないというもの悲しさ?いや、それだけではない。10番が持つ悲しさをここまで引き出した名演だということである。全集盤や82年ライブ盤ではこれは聴けないし、ヤルヴィやテミルカーノフといったこの曲の超名盤でもこれは聴けない。唯一無二の名演と言っていい。快速でビシバシと決まる演奏ばかりをこの10番では好んで聴いてきたが、従来の印象とは異なるこの名演をぜひ推薦したい。ロジェヴェンと読響はショスタコーヴィチの交響曲第2番と第3番を日本初演している。第15番の初演もロジェヴェン(モスクワ放送響)。私が最も好きな指揮者であり、ロジェヴェンのショスタコ演奏を追い掛けてきた。読響とのライブには何度も足を運び、楽屋にも何度か訪ねさせてもらった。ロジェヴェンと私と妻で一緒に撮らせてもらった写真は、我が家の家宝だ。楽屋で交わした会話も忘れがたく、私の持っていた小太鼓を指して、「ドラムはフォルテシッシモだ」と、にこやかに指で叩き真似をしていたことを思い出す。この日にもらったサインには、「Gennady Rozhdestvensky fff」とある。
ムラヴィンスキー指揮/レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団
1976.03.03/Live Victor
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ムラヴィンスキーの10番は、76年3月に名盤2枚を残している。何と深淵に迫る演奏であることか!現在4種聴くことができるムラヴィンスキーの10番の中で、最もシリアスでダークな一枚と思える。こうした暗黒の恐怖感覚と、寒気を感じるほどにほとばしる冷気は、ムラヴィンスキーならではの卓越した音色。ムラヴィンスキーの演奏は理知的なもので、いわゆるロシア系指揮者の聴かせる「爆演」とは遠いものだが、このディスクにおいては、4楽章の最強音で凄まじい爆発力を見せる。DSCHの叫びは圧巻。その後に訪れるピアニシモの繊細さは格別だが、こうしたダイナミクス・レンジのコントロールと、計算された「爆発」にはよほどの技術と精神的な鍛錬が必要であろう。オーケストラが、それにしてもよく鳴る。旧盤と比べてオケそのものが進化しているのもよくわかる。同曲の決定盤と言っていい。録音状態は旧盤よりはだいぶ良いものの、やはり不満が残る。
ムラヴィンスキー指揮/レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団
1976.03.31/Live Victor
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3日盤と同様の解釈による演奏だが、録音の質なども含めてゴツゴツとした印象がある。個人的には、私は長らくイギリスのマスタートーンの異盤を愛聴していたが、ふと全集盤に立ち還ってみて、どこか凸凹としたサウンドの生々しさを感じた。3日盤もそうだが、ザクザクと傷口を抉るような狂気的で痛々しい3楽章が好きだ。さすがムラヴィンスキーの振るショスタコーヴィチ。その冷徹な視点はサディスティックでもあり、また聴き手としてはそうした音の攻撃に酔いしれたいマゾヒズムを感じさせる。重要なスネアは、3日盤よりも随所で攻撃的に聴かせる。
カラヤン指揮/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
1969.05.29/Live Ars Nova
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10番は帝王カラヤンが唯一取り上げたショスタコ曲でもあり、録音は正規盤で3種聴くことができる。これはカラヤンのモスクワ・ライブのときのもので、会場にはショスタコーヴィチ自身もいたようだ(写真も残っている)。当時のベルリン・フィルは、荒々しいまでの推進力に満ちた演奏を聴かせていた。この録音も例に漏れず、凶暴とさえ言える。しかし、同時に緻密さも兼ね備えている。10番を「数学だ」と言った『雪解け』のセリフはよく引用されるが、まさにそのイメージに近い。重要なスネアは、非常にクリアで突き抜けた音色。大胆な音量設定だが、丁寧でゆとりのある演奏には、安定した技術を感じさせる。81年DG盤同様に異常に高いピッチのスネアを使っており、突き抜けて響く。
カラヤン指揮/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
1981.02 Deutsche Grammophon
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さすがに別格と言えるような風格と威厳に満ちた演奏である。ライブ盤で聴かれたような恐ろしいまでの迫力と緊張感は感じられないが、圧倒的な技巧は名人芸のごとき見事さで、ほとんど完璧と言っていい。有無を言わさぬ説得力と洗練された響きは、ショスタコーヴィチのスコアのイメージそのものであり、カラヤンがこの曲しか振っていないにもかかわらず重要なショスタコ指揮者の一人であることを否が応にも認めざるを得ないディスクである。ちなみに、私にとっては10番の初ディスクであり、幸福な出会いであった。これにより私は、カンカンとハイピッチで鳴るスネアにすっかり魅了され、当時所属していた高校の吹奏楽部においては、常にスネアのピッチが極めて高くチューニングされた。高校3年生の冬には、年末年始にせっせとアルバイトし、普通の曲では使えもしない3インチの極薄スネアを購入した。未だにこの魅力に囚われている。「決定盤」とはこのディスクのことだ。
カラヤン指揮/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
1966.11 Deutsche Grammophon
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69年ライブ盤、81年スタジオ盤と比べて、解釈にそう大きな変化はない。既にカラヤンの中での10番は完成されている。オイストラフに薦められて10番を振ったということだが、ショスタコーヴィチ自身もとても喜んでいたようで、ベルリン・フィルの技巧的に優れた圧倒的なサウンドが、聴き手に有無を言わさぬ迫力と説得力をもたらす。66年の録音だが、録音状態も素晴らしいもので、カラヤンとベルリン・フィルによる当時の世界一とも言えるような実力を見せ付けてくれる。
テミルカーノフ指揮/レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団
1973.01.26 Russian Disc
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個人的には、私がテミルカーノフのファンとなった一枚。ムラヴィンスキー時代のレニングラード・フィルと比較され、(オーケストラのメンバー交代などもあったのだろうが)あまりに異なるサウンドに違和感を覚えたものだが、当盤を聴けばわかる。さすがである。70年代にテミルカーノフが振ったレニングラード・フィルは二軍だったということだが(その後の、いわゆるサンクトペテルブルク響)、素晴らしい音色を引き出し、オケの能力を高めている。奇をてらったような表現もなく真面目にスコアに取り組んでいる。ガツガツ鳴るスネアも、切れのある弦楽器も素晴らしい。やや細いながらも密度の濃い木管楽器も充実している。4楽章、ラストの勢いには興奮せずにはいられない。
ロジェストヴェンスキー指揮/ソビエト国立文化省交響楽団
1982.04.10/Live Brilliant
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初めに言っておくが、スネアが2楽章(練習番号75)で盛大に落ちる。これさえなければ…!というところだが、実にロジェヴェンとソビ文の強烈サウンドを味わえる一枚なのである。ソビ文のライブ録音は珍しいが、べったりと「これでもか!」というほど吠える金管を筆頭に、このオーケストラの尋常ならぬ能力を感じることができる。ソビ文は、まるで人類の限界に挑戦したかのようなオーケストラで、従来の、そして未来に至っても常識破りのサウンドに我々は声を失う。デッドなティンパニの抉るような強打、文字どおり乱れ打つスネア、超強烈な金管に卒倒する。録音状態は良好で、当時、継ぎ接ぎの不自然なバランスのスタジオ録音よりは、ライブ一発録りのほうがよほど良かったのではないかと思ってしまう。それにしても、2楽章で一箇所落ちたスネアこそ、編集で救済してあげたいところだ。
ロジェストヴェンスキー指揮/ソビエト国立文化省交響楽団
1986 BMG/Melodiya
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82年ライブ盤から時間が空いてのスタジオ録音の全集盤。4年前のライブ録音の狂乱からは一歩引いてスコアに向かっているように聴こえるが、ロジェストヴェンスキーがこの曲で表現するある種の狂気的な陶酔感は前面に出ており、やはり苛烈な管楽器と打楽器のサウンドが特徴的な一枚。ここまでオーケストラが鳴りきる演奏、振り子が振り切れてしまったかのような演奏は、ロジェストヴェンスキーならではだ。
ハイティンク指揮/ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
1986.08.28/Live LPO
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…す、すごいぞ!ハイティンクのショスタコーヴィチには、透徹した真摯な攻撃性、冷たさがあるが(しかも、ムラヴィンスキーとは違う)、この一糸乱れぬ狂気的な進撃の原動力はどこにあるのか。ハイティンクの10番は全集盤、コンセルトヘボウのライブ盤に続く3枚目だが、やはりロンドン・フィルのこの真っ直ぐな推進力とスピード感には惚れ直す。他2種と比べて危なっかしいほどの勢いとスピードがある。ハイティンクの録音の中でも個人的にはかなり好きだし、評価したい。こうした機能性と安定した技量を十分に楽しめる録音ながら、ドキドキハラハラと興奮する。スコアの力もあるだろうが、やはりハイティンクの音楽の構築力には好感を抱く。このスピード感、突進力、比類ない。4番の再録音もとんでもない迫力だったが、やはりハイティンクは格好良い。なお、録音についてはいささか不満が残る。
ハイティンク指揮/ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
1977.01.14-16 Tower Records/Decca
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異常とも言えるようなテンションで、そしてストイックに全曲を駆け抜ける。抑制された狂気、爆発力を秘めた統率された推進力。70年代のゴツゴツとした録音も生々しく、ハイティンクの世界観の洪水とも言うべき力に飲み込まれる。冷戦時代、西側指揮者による初の全集を完成させたハイティンクの執念、真摯に現代作曲家の作品に取り組む姿勢を感じられ、一層に録音の価値を高めているように思う。ロンドン・フィルの明るく突き抜ける管楽器と、アタックの明確な打楽器、キリキリと神経質な弦楽器のサウンドが魅力的。
ハイティンク指揮/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
1985.12.08/Live Q Disc
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手兵コンセルトヘボウ管とのライブ演奏。ライブならではの傷のある演奏だが、聴いている方が怖くなってしまうような緊張感、冷酷な音色はムラヴィンスキーに通ずるもので、ハイティンクの哲学が表れているように感じる。全集盤の安定した演奏とは異なる、暴力的とも言える演奏。2楽章のようなわかりやすい暴力性は当然だが、3楽章の不気味さや4楽章の狂気的な明るさも十分に表現した、ハイティンクのライブの魅力がぎっしり詰まった貴重な録音。ちなみにこのBOXに収録されたハイティンクのライブ演奏(14枚組)はいずれも素晴らしく、ファンならずとも一度は聴いておきたい。
ラトル指揮/フィルハーモニア管弦楽団
1985.04.03-04 EMI
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我々が知っているショスタコーヴィチの10番とはまるで異なる表現で、カラヤンの10番の異色さと通ずる凄まじいインパクトの一枚。個人的には80年代から90年代のフィルハーモニア管が大好きなので、そのサウンドがショスタコーヴィチで炸裂するだけで特別な感慨があるわけだが、このパリッとした明瞭で強烈なアクセントの利いた演奏の力強さは、他の録音と一線を画する。作曲の背景にあるショスタコーヴィチの情緒や歴史、演奏史上のスタンダードな解釈にまるで影響されないスコアの読み解き方で、ある種のエンターテイメントな極上の響きで10番に取り組んだ名盤。ドン!バン!と鋭いアクセントとクレバーなスピード感、狂いのない見事なリズム感によって、この曲の別の魅力を聴かせてくれる。背景や解釈に捉われないファーストチョイスとしてもお薦めできる。
M.ザンデルリンク指揮/ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団
2015.09.08-10 Sony
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ミヒャエル・ザンデルリンクの交響曲全集では、初期の録音。ベートーヴェンの3番「英雄」と対になって発売された。この10番は既に知られている通りショスタコーヴィチの極めて私的な部分が出た交響曲。ミヒャエルのアプローチは慎重に感じられる。4楽章まで通して聴いてみて第一の感想は、「ショスタコの『幻想』だ」ということであった。ベルリオーズの「幻想交響曲」は実に不気味でナルシシズムに満ちた、ちょっと怖い音楽であると思っている。一方的なナルシシズムと陶酔するような密度の濃い偏執的な熱狂は、人を寄せ付けない。ある種の、気味の悪さをこの録音からは感じることができる。そもそもスコアを見れば、ここまで自署DSCHを叫んでいるのである。とんでもないナルシシズムだ。ありえないほどのDSCHですよ。ショスタコーヴィチのどこか客観的でクールな曲想が、ある意味では作曲者の特徴でもあるが、度々こうして爆発するように自己顕示欲なり自意識過剰な表現がマグマのごとく噴出する。想い人(ん?)への思いと、自らの署名の音型。…こ、これは、かなりスゴイ世界だぞ。この濃密な「プライベートな世界観」を表現した一枚として、ミヒャエル盤は素晴らしいと思う。4楽章の白眉(練習番号184)、レ~ミ♭~ド~シ~ドシャーン!は、ここまでDSCHを強調するかというほどの強烈なリタルダンドで、この曲のミヒャエル流の表現の答えを出したと言ってもいい。ミヒャエルはこうして10番を演奏してみせたのだ。「幻想」以上にナルシシズムに満ちた、ちょっと引いちゃうぐらいの濃密なDSCH世界!すごい。サーカスのような目まぐるしい場面転換と、内向的な表現。やはり10番とはすごい曲だなと思う。当盤、テンポは遅めに設定されており、2楽章は4分30秒を超える。ザクザクと突き刺さるような音色で一音一音を作り上げていく。スネアは全集の流れそのままで存在感のある重めの音色で、前のめりのテンポ感。トライアングルのギラギラした音色、シャリシャリしたシンバルの後から来るような表現、変わらずです。
デプリースト指揮/ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団
1990.04.19-20 Delos
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サクサクと切れ味の良いリズム感と、このコンビ特有のサラサラとしたサウンドが不思議と10番の世界観と合う。必要以上に内面的でナルシスティックで濃密な演奏は疲れるが、明るく派手で表面的な演奏も味気ない。デプリーストはテンポや全体の演出ではあっさりとしていながらも、確かなリズム感と細部まで練り込まれた丁寧な解釈と演奏で、聴きやすい演奏でありながら有無を言わさぬ説得力と力強さがある。デプリーストの録音の中ではスネアがひと際輝いており、ヤルヴィ盤に通ずるような疾走感で駆け抜ける。凸凹のない流麗なコントロールの効いた音色で、10番とはこうあってほしいものだと改めて思わされる。
バルシャイ指揮/ケルンWDR交響楽団
1996.10.15,24 Brilliant
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強力な推進力を持つ骨太でしっかりとしたぶ厚い演奏。曲の持つ暗さや恐怖感が現れている。ケルンWDRの密度の高いサウンドが生きた録音で、一音たりとも聞き逃したくない魅力にあふれている。バルシャイ全集の中でもこの10番は白眉と言っていいだろう。巨匠然としてどっかりと腰が据わったバルシャイの演奏だが、いささかも緩さも妥協もない引き締まった演奏で、この真っ直ぐな演奏には恐怖感さえ覚えるほど。気の抜けない素晴らしくクレバーな緊張感を持っている。
スクロヴァチェフスキ指揮/ハレ管弦楽団
1990.11.23-24 Halle
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迷いなきストイックな演奏で、グサリと胸に刺さる。当時のスタンダードと比較して残響の長い録音が奥行きを与えているが、録音のみならず演奏そのものの充実度も極めて高い。密度の濃い音色はハレ管ならではで、抜群の充実感を感じさせる。金管や打楽器は、決して爆発させたりはせず、ゆとりのある響きで十分に鳴らしている。特筆すべきは3楽章で聴かれるようなピアニシモのシンバルで、弱音ならがもシンバル全体がすみずみまで綺麗に鳴りきった名演である。テンポは全体的に食い気味で常に前のめり、オケの反応の速さ、その機能性に舌を巻く。スネアの叩ききった芯の音が心地良い。
ドホナーニ指揮/クリーヴランド管弦楽団
1990.02 Decca
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ドホナーニ唯一のショスタコーヴィチの録音が、この10番。ショスタコーヴィチがポスト・マーラーと持て囃された頃のデッカの録音であり、まだ西や東といった聴き方をしていた時代ではあるが、ストイックで真っ直ぐな鋭いアプローチはとても魅力的。無駄のない引き締まったテンポとサウンドで、オーケストラの技術的なアドヴァンテージを背景に「これでもか」と濃密なスコアを見せ付けられるようだ。締め上げられたスナッピによる硬質なスネアが素晴らしく、金管と打楽器はここまで鳴るのに理知的な演奏で切れ味が凄まじい。4楽章の後半戦は本当に素晴らしいスネアの突撃ぶりが聴かれる。
井上道義指揮/サンクトペテルブルク交響楽団
2007.11.11/Live Octavia
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日比谷公会堂の交響曲全曲演奏プロジェクト4日目。10番と13番という驚異的なプログラム構成(こんなプログラムが可能なのか?)。全体的に速めのテンポを取っている。ショスタコーヴィチには推進力が必要なので、わかりやすくテンポはなるべく速いほうがよい、というのが私の考えだが、井上は遅めに仕上げる。その中でも10番は異例の速さ。オーケストラは相変わらず凸凹しているものの、この一気呵成の勢い、エネルギーはロシアオケ特有の爆発力を感じさせる。スネアが素晴らしい。叩ききった!という、凄みがある。いかにもライブといった乱れはあるが、10番はこうあってほしい。
ポリャンスキー指揮/ロシア・ステート交響楽団
1995.06 Chandos
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これだ!ステート響の鋼鉄の響き!この時期のポリャンスキーとの録音に聴かれるシャンドスのシャン!ドス!とした録音は良いのか悪いのかわからないが、魅力的ではある。シャリシャリした響きも、こういうものだと思ってしまうとあまり気にならない。細部まで聴くと、おや?という部分もあるにせよ、なぜこうなるのだろうというケレン味と強烈なサウンドは好きだ。現代の優秀な響きと録音による10番を聴いていると、80年代から90年代のソ連サウンドがとても懐かしく、心惹かれるというものだ(結局、この時期のソ連サウンドに囚われているのだろう)。当盤は未完の喜歌劇「大きな稲妻」を収録しており、ロジェヴェン&ソビ文と並び貴重な一枚。
ネルソンス指揮/ボストン交響楽団
2015.04/Live Deutsche Grammophon
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ネルソンスのDGのショスタコーヴィチ録音第一弾。当録音はグラミー賞に輝いたとかで、これを皮切りにDGとの交響曲録音プロジェクトがスタート。CDは5曲の収録で、1曲目には「ムツェンスク郡のマクベス夫人」から「パッサカリア」を配置。CDをプレーヤーに掛けて最初の一音がこのマクベス夫人である。それはもうボストン響の素晴らしいサウンドが鳴りに鳴りまくって、大興奮なのである。実に充実したサウンド。ネルソンスのこのシリーズは、ボストン響の響きに酔いしれたいというのが大きな魅力であり、音の洪水の中にただ身を任せたい気持ちにさせられる。10番も素晴らしく濃密な演奏で、「UNDER STALIN'S SHADOW」というスローガンを掲げつつも、どこか明るめのサウンドが魅力的。シャキシャキとした明瞭な響きと、ここぞというところでずっしりと重量感のある響きが両立している。なお、ライブ盤とのことだが、ネルソンスの他の同シリーズと同様、ライブなのかセッションなのか、というのを超えた素晴らしい録音。10番の場合は終演後に拍手が収録されているので、ライブであるということがわかるが、演奏中の会場ノイズを感じないので、むしろこの拍手には違和感さえあるほど。その後に録音した5,8,9番の2枚組のCDには、ライブ本番と思われるボストン・シンフォニーホールの写真が掲載されているが、多数のマイクがあちこちから吊り下げられており、ステージ上にワイヤーが行き交っている。楽器間のアクリル板も見られる。このようにして録音するのか…、と面白い。
K.サンデルリンク指揮/フランス国立管弦楽団
1978.01.08/Live Naive
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ジャケットのスターリンが否応なしに迫り来る。店頭に並んでいるときから白黒のスターリンと薄い紫の帯がいかにも奇抜で印象的なディスクだったが、演奏は1978年のザンデルリンクの至って実直で真摯なもの。ベルリン響との録音もザンデルリンクらしい落ち着きと渋みが良かったが、ライブとあって熱気とクールの狭間で悶え苦しむDSCHが何とも印象的な一枚。録音は古く会場の一発録りで、くしゃみや咳まで客席ノイズをそのまま収録している。リズム感や乱れぬアインザッツ、4楽章が白眉で、この大曲をこのようにエンディングまで持っていくのだから!この10番というナルシストな曲をしっかりと制御して交響曲の枠組みで形作る造形力は、クルト・ザンデルリンクならではだろう。3楽章練習番号127のタンバリン(これはソロだと個人的には思うが)、2拍目のジングルがロール。そうきたか!
コフマン指揮/ボン・ベートーヴェン管弦楽団
2003.03.28-30 MDG
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コフマン全集のスタートとなった10番。丁寧かつ誠実なアプローチ、あえて編成を小さくしているのか独特のサウンドの薄さ、無理のない金管、打楽器の近さは、他では聴けない。2楽章が素晴らしく、そう速いテンポではないながらスピード感があり、スマート。コフマン全集で暴力的なサウンドが聴かれることはないが、2楽章が持つ暴力性のようなものはしっかりと感じ取ることができる。素直な演奏ゆえに、これがスコアの力か。3-4楽章においても、レミドシもことさら深刻に取り扱わず、曲想の中に自然と聴かれる。録音が良く、打楽器の弱音の表現が素晴らしい。オケは薄いながらも、8番や11番のような圧倒的な力不足も感じさせず、この曲との相性の良さを感じさせる。なお、4楽章はアレグロでトラックを切っており、全5トラック。4楽章を二つに分けるディスクは初めてだが、とても便利で聴きやすい。
コンドラシン指揮/モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団
1973 BMG/Melodiya
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強烈な打撃音がコンドラシンらしいが、録音の悪さがこのディスクを快適に聴くことを妨げる。ムラヴィンスキーの下記50年代の録音に比べれば幾分マシだが、フォルテピアノの聞きにくさは残念としか言いようがない。原色の無骨なサウンドが魅力的で、ドン!バン!と打楽器のデッドな響きがたまらない。ティンパニとスネアの猛攻は他の追随を許さないが、録音の歪さもあって万人にお薦めできるものでもない。速めのテンポ設定と、輪郭のはっきりとした表現で、演奏そのものは非常に真っ直ぐで推進力に満ちあふれている。10番はコンドラシンの他の録音はないようだが、交響曲全体を通してのコンドラシンの解釈の過程にあるもので、ブレないアプローチは非常に好感を抱くもの。
ムラヴィンスキー指揮/レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団
1955.06.03/Live GPR
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張り詰めた雰囲気が伝わってくる。一音一音がずっしりと響き、とても重い。そしてその全てに緊張感が宿っている。1楽章、最初の一音から聴き手を集中させる深みある演奏。しかし録音が悪い。スネアに関して言えば、スナッピーが入っていないのかと思えるほど響かない。音そのものはかなり叩き込んでいる強烈なものだが、上手く収録できなかったのだろう、かなり遠くに聴こえる。凄惨なまでのオケのパワーが強烈で、2楽章は3分48秒の猛烈スピード。超リマスタ技術が開発されるのを待ちたい。いやほんとに。さすれば、再評価できるかもしれない。演奏そのものの切れ味や推進力はムラヴィンスキー4種の中でも随一だ。
ムラヴィンスキー指揮/レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団
1954.04.24 Saga
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ムラヴィンスキーの初録音盤。スタジオ録音だが、ムラヴィンスキー自身も語るように当時の技術上の雑さが相まって、録音状態は良いとは言えない。キャンキャンと耳に痛いような細く鋭い音で、聴き込んでいるとある種の中毒にもなる。54年当時のムラヴィンスキーの10番への取り組みを聴くことができるが、細部には解釈が定まっていない箇所があるのか煮え切らなさもあり、76年の名盤2枚に比べると完成度は劣るか。カラヤン盤のように突出して聴こえる高音スネアが特徴的。
アンチェル指揮/チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
1955.10 Deutsche Grammophon
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初演間もない頃のアンチェルによる10番。録音はさすがに当時のものだが、DGはよくこの時代の音色を残してくれたものだと思う。まるでムラヴィンスキーとレニングラード・フィルのような、厳しく凍て付くようなサウンド。1楽章から4楽章まで、隙のない緊張感にあふれる名盤である。当時の東欧オケの音色が鋭く突き刺さる生々しい録音で、ザラザラとした空気感と、一糸乱れぬ完璧にコントロールされたオーケストラのアンサンブルが凄まじい。この速さも必然だと思える。
スラットキン指揮/セントルイス交響楽団
1987.02.08,10 RCA/BMG
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スラットキンいいよね!華麗なテンポ、技巧、そしてインテリジェンスなサウンド。素晴らしい。ソビエト勢のアクの強さ、濃い目の味付けは感じられないが、それでいてスラットキンの丁寧な音作りは、決して平凡というものでもなく、オーケストレーションの妙を楽しませてくれる。さすが技術的にも素晴らしくて、優等生的な演奏で当時アメリカのオーケストラの輝きを伝えてくれる演奏で、洗練されたスラットキン・ショスタコを説得力あるかたちで提示している。アメリカのオーケストラに感じるまるで青春のような輝きは素晴らしいものだ。
チェクナヴォリアン指揮/ナショナル・フィルハーモニー管弦楽団
1977 Tower Records/RCA/BMG
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圧倒的な爆発力を持つ演奏で、重量級の爆音サウンドを聴かせてくれる。突き刺すようなスネアをはじめとする打楽器の存在感、全力で攻撃してくるようなグイグイと迫る管楽器の迫力に、思わず「参りました」という感想が浮かぶ。チェクナヴォリアンのディスクは、ハチャトゥリアンでいくつかの名演が知られているが、好みから言えばもう少し巧緻性と客観性がほしいところで、オケの技量も含めて今ひとつという印象だったが、当盤はこの強烈なサウンドの素晴らしさを推薦したい。引き締まった演奏で、ずしずしと前進していく推進力にとても惹かれる。この聞き慣れないナショナル・フィルというオケは、ロンドン五大オケの選抜メンバーによる録音専用の団体とのこと。
スクロヴァチェフスキ指揮/読売日本交響楽団
2007.09.25/Live Denon
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スクロヴァチェフスキが読響の常任指揮者に就任して5カ月後のライブ演奏。2009年の11番のライブとの2枚組。11番と比べるとまだ馴染んではいないものの、ただならぬ緊張感がある。読響はどこか不安定さも感じられるが、サウンドそのものは真っ直ぐで、薄めの録音といい、スクロヴァチェフスキの作り出すショスタコーヴィチ世界にマッチしている。DSCH音型もことさらに強調するよな嫌らしさもなければ、スクロヴァチェフスキらしい至って生真面目な演奏ではあるが、それが却って不気味な響きを生み出していると言える。オケはパワー不足だが、10番の世界観を表現した名演である。
スクロヴァチェフスキ指揮/ベルリン・ドイツ交響楽団
2003.05.04/Live Weitblick
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10番では、ハレ管との名盤を残しているスクロヴァチェフスキ。来日公演も印象的な巨匠だが、この2003年の名演奏がCD化されていることは喜ばしいことだ。スクロヴァチェフスキらしい真面目で鋭いアプローチはハレ管盤と変わることはない。ライブ録音だが実に冷静で、10番の持つ知的な構成を十分に感じさせられる。速めのテンポでグイグイと迫る3楽章、タンバリンの明瞭な響きなどはとても好きだな、と思う。2000年代のベルリン・ドイツ響の充実したサウンドも魅力的だ。ところで、ジャケットのデザインはセンスの欠片も感じられず、まるで海賊盤かと警戒させられる(もちろん正規盤だ)。また、帯にはハレ管との録音を貶めるような文言が並び、これはどうしたものかという品のなさが漂う。演奏は素晴らしいのに、こんなことは売り手としてやってはいけないことだと思う。
アシュケナージ指揮/ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
1990.09 London/Decca
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ロイヤル・フィルの煌びやかなサウンドが素晴らしい一枚で、アシュケナージのどこか軽めのサクサクと進んでいく表層的な装いが機能している。力むことなくブリリッと響く金管が特に好みだ。爽やかなテンポ感で、この曲が持つある種のグロテスクさ、歪さといったものは感じられない(とは言え、室内交響曲を併録している辺り、アシュケナージのこだわりがあるのだろう)。ともすると、全体的に平凡な演奏かもしれない。しかし、堅実に仕上げている印象がある。均整の取れた演奏は、この曲にまた別の魅力をもたらしてくれる。
K.ザンデルリンク指揮/ベルリン交響楽団
1977.02 Berlin
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重いテンポで聴かせるザンデルリンク流のショスタコーヴィチ第10番。77年の録音だが、録音は良い。クリアにアタックを聴かせてくれる。クルト・ザンデルリンクのショスタコーヴィチ録音全般に言えることだが、真摯に深淵を求めながら、大胆に岩山を削り取るかのようなパワーがある。ベルリンが東西に分かれていた頃のリアルなサウンドだが、こちらは東ベルリン。現在では、ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団という名称になっている。我が国、日本も二次大戦での敗戦国だが、戦後ドイツの事情をつい想像してしまう。
ウィグレスワース指揮/BBCウェールズ・ナショナル管弦楽団
1997.11 BIS
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オーケストラが技術的に健闘しており、録音も良い。レンジが広いので弱奏部分が聴き取りにくい(が、ボリュームを上げるとフォルテがすごいことに)。やはり10番は難易度の高い曲だと思うのだが、こうも力強く濃密で、それでいて余裕のあるサウンドで鳴らされるとさすがとしか言いようがない。一方、まったくもって雑ではないがアクセントの強い表情付けがあまり効果的でないのと、10番はもう少し内面的、内向的な曲だと思うので、曲への没入感と説得力がほしいところ。全集化に際してSACDにリマスタ。
K.ペトレンコ指揮/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
2021.10.29/Live
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2019年にラトルの後任としてベルリン・フィルの常任指揮者となったキリル・ペトレンコによる8-10番の3曲を収めたCD&Blu-rayBOXである。コロナ禍中であり、観客がいなかったり、またはマスク姿であったりするわけだが、これはライブ録音。3曲とも同様の感想だが、まず何よりオケが素晴らしく、これら難曲の前にまったくもって余裕があり、響きが豊かである。リズムの破綻もなく、改めて世界最高峰の技術を目の当たりにする。ジャケットとライナーはトーマス・デマンドという写真家によるもので、特殊な装丁が美しい(CDラックに収めにくい)。ライナーも充実しており、28Pにわたる日本語訳も付属する。ここまでが3曲共通のコメントとする。さて、10番は他2曲の約1年後のライブ録音。客席は埋まっている。歯切れの良いサウンドがどうも表面的で、奥行きを感じさせない。バランスは良いが熱量と迫力に欠ける。打楽器も薄い。銅鑼はなぜここまで鳴らないのだろう。1楽章のスネアを重ねている。
スヴェトラーノフ指揮/ソビエト国立交響楽団
1966.03.25/Live Scora
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スヴェトラーノフらしい厚みのある響きが魅力的。ただし、録音の悪さがその魅力を削いでいるのは非情に残念なこと。10番のスピード感や緻密な構成は、いわゆる爆演型の演奏では成功例がないように思えるが、スヴェトラーノフの丁寧な音作りや響きの濃さは堪能できる。
ヤンソンス指揮/フィラデルフィア管弦楽団
1994.03.05-07 EMI
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フィラデルフィア管の申し分のない豊かな響きが何と贅沢で、バランスもテンポも録音も良い。指揮者の個性が出てくるようなアクの強い演奏とは対極にあるようで、良くも悪くもツッコミどころもない。これは、ショスタコーヴィチを聴いているのか…?と思わず呟いてしまうような普遍的な構成による演奏。なお、4楽章のトラックが分かれており、アレグロ(練習番号153)から聴くことができるという親切設計。
キタエンコ指揮/ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団
2003.03.24-26 Capriccio
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SACDによる重厚なサウンドを聴くことができるキタエンコの全集から。重めのテンポで濃密に聴かせるキタエンコのアプローチは、当盤でも健在。ヤルヴィのような超速テンポと明瞭な響きで聴かせる演奏とは真逆で、この曲の持つ推進力、勢いが削がれているようにも感じられるが、じっくりと下へ下へと落ちていくような後ろ向きのエネルギーを溜めていくような仕上がり。それにしてもこのSACD全集、大太鼓の強打で思わずのけぞるような音圧がある。
P.ヤルヴィ指揮/シンシナティ交響楽団
2008.04.27-28 Telarc
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パーヴォ・ヤルヴィによる10番。適度の重さを持ちつつも流麗なサウンドで、録音も良好。この難曲を綻びなく綺麗にまとめた演奏と言えるが、この曲の持つ危なっかしさを感じさせることはない。それがどうにも退屈な印象をもたらす。ところで、パーヴォは、父ネーメ・ヤルヴィとショスタコーヴィチのと3人で写った写真があるが、幼年期にショスタコーヴィチ本人からどのような影響を受けたのだろうか。大指揮者を父に持つ環境もまた、感性を磨くきっかけだったのだろう。
ショルティ指揮/シカゴ交響楽団
1990.10/Live Tower Records/Decca
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シカゴ響のパワーを十分に感じられる名演。パリッと明瞭で細部まできめ細やかなサウンドは唯一無二だろう。全体的に速めのテンポ設定で聴かせる。ライブ録音とのことだが、極めて安定した演奏で録音も素晴らしい。バリバリと軋む金管の存在感はシカゴ響ならではのもの。一方でどこかスッキリとした演奏に対しては、情熱的な感想は生まれてこない。
スラドコフスキー指揮/タタールスタン国立交響楽団
2016 Melodiya
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スラドコフスキーの全集から。スラドコフスキーはところどころで素晴らしいサウンドを聴かせてくれるのだが、現代にあって録音のアドバンテージはないと言っていいし、オーケストラの苦しさがある。傾向からすれば、好きな人は好き、といったところの評価なのだろうか。しかし、スラドコフスキーの方向性は私はとても好きで、他の録音でも尖って現れることもあるが、この存在感に惹かれる。そして、やはり非常に疲れる演奏なのである。ショスタコーヴィチの疲れる演奏を聴いたあとって、何だか心地良いですよね。
ミトロプーロス指揮/ニューヨーク・フィルハーモニック
1954 CBS
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録音の悪さが悔やまれるが、恐怖感漂う暗黒の音色には鳥肌が立つ。全曲を通して緊張感に満ちており、ミトロプーロスもまたショスタコ指揮者の一人であったと確信できる。洗練される前のニューヨーク・フィルの無骨な音も素晴らしい。強烈な一枚。録音の悪さからくるものだろうが、シンバルや銅鑼の余韻がぐわんぐわんとビブラートし、何が起こったのかとびっくりする…。
ミトロプーロス指揮/ニューヨーク・フィルハーモニック
1955.10.01-02/Live Urania
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おそらく2楽章は最速の演奏。驚くなかれ、たったの3分35秒で走りきるのだ。これはすごい。速ければいいというものではないが、確かにショスタコーヴィチはある速さを超えたときに何か別の魅力が湧き出てくる。しかし、いくらなんでもこれは速過ぎる。すごいことに。驚異的なまでの盛り上がりがある。ガツガツと挑戦的なオーケストラに脱帽する。
インバル指揮/ウィーン交響楽団
1990.01.30-2.02 Denon
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インバル全集の初録音。この10番を皮切りに、3年で全集を完成させている。西側の全集としてはハイティンクがショスタコーヴィチ演奏の金字塔を作り上げたわけだが、ハイティンクの透徹したストイックな響きとは異なる新機軸の全集であり、10番というショスタコーヴィチのパーソナリティが色濃く出た曲でも同様に客観的かつそっけない響き(それはインバルには必ずしもマイナスな評価ではない)。どこを切り取っても標準的にしっかりとした演奏で、感情的なブレとは無縁。密度の高いオーケストラのサウンドも良い。
コンヴィチュニー指揮/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
1954.06 Berlin
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東ドイツの巨匠コンヴィチュニーは、ショスタコーヴィチの10番と11番を録音している。どちらも初演から間もない時期の録音で、録音状態や完成度という点は後年の録音に及ばないものの、当時東ドイツのオーケストラの壮絶な響きを味わうことができる。意図が不明なだけに打楽器(特にシンバル)の改変はいずれも気になるが、鬼気迫る弦楽器の分厚いサウンドは魅力的だ。速めのテンポ設定で突き進みつつも、濃密な世界観を構築している。
ロストロポーヴィチ指揮/ロンドン交響楽団
1989.07 Warner/Teldec
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ロンドン響の素晴らしいサウンドを聴くことができるが、どこか散漫とした印象があり、ロストロポーヴィチの全集の中では一つ魅力に欠けるが、ロストロポーヴィチのストーリーテリングは感じられる。バシャバシャと鳴るスネアや、縦線を合わせていくアクセントも悪くはない。
ショスタコーヴィチ(Pf),ヴァインベルク(Pf)
1954.02.15 Melodiya
作曲家とヴァインベルクによるピアノ版。ピアノ協奏曲のカデンツァなどで聴かれるショスタコーヴィチ独特の駆け込むようなせっかちなタッチが健在で、思わずホロリとさせられるのは作曲者自身をその演奏に感じるからなのだが、何より素晴らしいのは、オーケストラに比べて音の少ないピアノで、ここまで深い闇を表現しているということだ。まるで100人のオーケストラが作り出すような圧倒的な音のうねりと、ショスタコーヴィチの交響曲の底流に流れる冷たく凶暴な響き、それが全て表れていると感じる。作曲者自身の演奏なのだから、それが最も「ショスタコらしい」というのは当然なのだろうが、ここにミーチャの卓抜したセンス、才能を感じ取ることができる。