日本の詩人の詩による六つのロマンス 作品21

ロジェストヴェンスキー指揮/ソビエト国立交響楽団

マスレニコフ(T)

1982 BMG/Melodiya

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我が国で通常手に入る文献では内容が確認しにくい作品だが、工藤庸介氏の『全作品解読』に妻ニーナとの関係が紹介されており、大変興味深い。また、ロジェストヴェンスキーによる同じ音源、ビクター盤「ショスタコーヴィチ未出版作品集」のライナーでも情報が得られる。第1-3曲(1928年作曲)は、1912年にロシアで出版された『日本抒情歌集』(万葉集、古今和歌集から)、4曲(1931年作曲)は『園丁』とする説もあるようだが、残り5-6曲(1932年作曲)は詳細不明。第2曲の大津皇子を除いては「詠み人知らず」となっている。本国である我が国でも知られていない。ロシア語訳された詩集にショスタコーヴィチが着想を得たのであろう。ストラヴィンスキーも「日本の三つの抒情詩」として同じロシア語翻訳から歌曲を作っている。当時、ロシア・ソ連からどのように我が国の芸術が見られていたのかはわからないが、原詩をめぐってはWEBサイトなどで研究がなされている。当盤は実に濃密なロジェヴェンのBMG全集BOXに収められた一曲で、ロジェヴェンの目指すショスタコーヴィチ演奏の一環にあると感じられるもの。

N.ヤルヴィ指揮/エーテボリ交響楽団

レヴィンスキー(T)

1994.05 Deutsche Grammophon

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ヤルヴィらしいスッキリとした演奏。機能的なわかりやすいオーケストラと、輪郭のはっきりとした曲作りはヤルヴィらしい。ヤルヴィはオーケストラ伴奏付きの歌曲集を2枚録音しているが、いずれもこうした明瞭なアプローチであり、ヤルヴィのショスタコーヴィチ解釈の一端を味わうことができる。

尾高忠明指揮/読売日本交響楽団

タッカー(T)

1997 BMG

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録音年の表記がないが、読響創立35周年の録音とのことで、1997年と思われる。テナーのマーク・タッカーの歌唱が明瞭ですっきりした印象。ロジェヴェン盤に慣れた耳だと刺激には欠けるが、美しく幻想的な響きは素晴らしい。日本の詩に何を思って作曲したのかはわからないが、ぼんやりとした幻想的、抒情的なサウンドが魅力的な一枚。交響曲第5番との併録だが、この日本詩人のロマンスは一柳富美子先生による解説と対訳が付く。録音も少なく、あまり一般には知られていない曲だけに、この解説と対訳はかなり貴重な資料である。タイトルは、「恋」、「自殺の前」、「無遠慮な眼差し」、「最初で最後」、「絶望的な愛」、「死」。後に追加された後半3曲は出典不明だが、一柳先生は「ニーナの他に複数の女性と交際のあった時期なので、第4曲以降は、『日本の詩』に名を借りて、ショスタコーヴィチ自身がその複雑な思いを込めて作詞したとも考えられる。」という極めて興味深い考察をされている。

M.ユロフスキー指揮/ケルンWDR交響楽団

コチェルガ(Bs)

1995.05.22-27 Brilliant/Capriccio

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ユロフスキーとケルン放送響(WDR)の声楽曲シリーズから、録音の少ない貴重な日本ロマンス。このようにあまり知られていない作品に対しても、ユロフスキーの職人的な真面目な姿勢が感じられる。個人的には、WDRのサウンドがとても好きなので、当盤も素晴らしいディスクであると感じられるが、ショスタコーヴィチの交響曲に聴かれるような大編成のド派手な爆発力の対局に確かに存在する、落ち着いた渋味のある魅力が十分に表れている。それにしても、作品番号21なので、交響曲では3番の直後、4番との間の初期の作品。晩年の作品に通ずる魅力が既にある。