叙事詩「ステパン・ラージンの処刑」作品119

コンドラシン指揮/モスクワ・フィルハーモニー交響楽団

グロマツキー(Bs)

1965 Melodiya

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想像できる限り最高の名演で、独唱、合唱、管弦打のいずれも素晴らしい。圧倒的。65年の演奏につき、録音は良いとは言えないが、強奏部での歪みを除けば十分にCDでの鑑賞に耐え得るものである。ステパン・ラージンはロシア民謡「ステンカ・ラージン」(ステンカはステパンの幼名、愛称、蔑称)でも知られる抵抗運動の英雄とされた人物。ラージンに材を取った独唱と合唱、ピアノ、ハープ、チェレスタ、多数の打楽器を含む大編成の管弦楽のための作品。交響詩、詩曲、バラードといった枕詞の和名表記もある。当サイトでは一旦は音楽之友社『作曲家別名曲解説ライブラリー』に従っておく(ここは表記ブレが大きいので、仮にショスタコーヴィチ自身が名付けた「エフトゥシェンコの詩に基づくバス独唱と混声合唱のための~」というような箇所があったとして、それが正式なものとしてロシア語原文でわかれば迷いはないのだが…、詳しい方がいらしたら教えてください)。分厚い内容だ。同じくエフトゥシェンコの詩による交響曲第13番との作曲時期も近く、バスを主役とした重厚で交響的な作品として、ショスタコーヴィチの強いこだわりと芸術性が感じられる。コンドラシン、モスクワ・フィル、グロマツキーの組み合わせも含めて、両作品は対を成すものとして併せて聴くのもいいだろう。もう何も言うことのない理想的なタンバリンの音色とテンポ感、そしてムチや板鐘のキンキンと耳をつんざく刺激的な破壊音、トムトムかというような強烈なティンパニと、打楽器の好演が印象的で、重厚なオーケストラがしっかりと全体を支えている。

ケーゲル指揮/ライプツィヒ放送交響楽団

フォーゲル(Bs)

1967.11 Philips

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同曲においては当盤をベストに推す声が圧倒的に多いだろうと思われる名演。60年代にしては鮮明な録音で、フォーゲルの歌唱とオケのバランスもあらゆる点で素晴らしい。まさに物語の主人公といった凛々しい声質。合唱の緊迫感もこの曲の演奏全体に良い雰囲気を作っており、どこを切っても説得力がある。また、ギシギシ、ミシミシとしたサウンドがどこか殺伐としており、東ドイツのケーゲルによる表現が興味深い。渋味と切れ味が抜群なオーケストラである。この大編成のオーケストラに切り込む打楽器群も非常に印象的で、タンバリン、鐘(板鐘か?)、銅鑼の存在感は生々しくて凄まじい。30分あまりのこの曲の中に多くのものが詰め込められており、ドラマチック。まさに「叙事詩」という表現が相応しいだろう。

シュウォーツ指揮/シアトル交響楽団

オースティン(Bs)

1996.06 Naxos

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私がステパン・ラージンの聴き比べにハマるキッカケとなった一枚。ナクソスから廉価で一般に広く販売された。こうした機会は大変素晴らしい。シュウォーツは11番の録音も結構好きで、当盤では「十月革命」も併録しておりこちらも素晴らしい。さて、このアメリカ勢によるステパン・ラージン。実に明瞭で明解な演奏、各楽器セクションが見事な仕事ぶりだ。録音も良くて、重めでずっしりとした確実かつ着実な演奏を細部まで聴かせてくれる。それにしても同曲で重要なタンバリンが本当に素晴らしくて、パンパンと鳴る皮の音、ロールの表現、ロールからの隙間のない打撃音。「タンバリンの活躍する曲」を聴きたい方にはぜひ推薦したい一枚。独唱、合唱、オーケストラも打楽器も素晴らしくて、優等生的な欠点の見当たらない演奏。コンドラシン、ケーゲル、ロジェストヴェンスキーといった東側の名盤のファンであればぜひ比較して聴いてほしい必聴必携のディスク。私はこのシュウォーツ盤も同曲の代表的な一枚として世間に広く知られてほしいと思っている。

ロジェストヴェンスキー指揮/BBC交響楽団

グロマツキー(Bs)

1966.08.17/Live Intaglio

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ロジェストヴェンスキーによるライブ録音。オーケストラのジャケット表記はモスクワ放送交響楽団とあるが、工藤さんの著書(『ショスタコーヴィチ全作品解説』ユーラシア選書)、WEBサイトによればBBC響とのこと。当サイトもそれに倣うことにした。マクシムによるプロコフィエフ「イワン雷帝」との併録で、非常に燃焼度の高い一枚。録音状態は鮮明度とか分離とか言う前にあちこちでブツブツと切れる音切れやオーディオが故障したかと思うほどの酷い歪みが問題で、よく商品化しようと思ったものだというレベル。ただし全体を通して絶望的に音が籠もっているとか遠いということはなく、一部にこういった音切れや歪みの事故がある。コレタクター向けと言ってしまえばそれまでだが、それでもロジェストヴェンスキーによるステパン・ラージンを聴くことのできる喜びのほうが私は上回る。かなり高速なテンポを取っており、凄絶としか言いようのない圧倒的な迫力の前に言葉を失う。グロマツキーによる緊張感ある歌唱も素晴らしく、録音状態が悔やまれるが、こうした名演が残っていることがとても嬉しい。

P.ヤルヴィ指揮/エストニア国立交響楽団

タノヴィツキ(Bs)

2012.04.18-20/Live Erato

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パーヴォ・ヤルヴィによるライブ録音。最新録音でステパン・ラージンを聴けるとは、何と幸せなことか。録音数の少ない同曲において、素晴らしい録音。低音がここまで鳴ってくるとは。コンドラシン、ケーゲル、ロジェストヴェンスキーを三大巨頭としてこの曲を評価したときに、彼ら旧世代の指揮者と比べて、パーヴォはその録音の素晴らしさと堅実な構築によって、オーケストレーションの細部を驚くほど聴かせてくれており、交響曲に通ずるようなショスタコーヴィチの重厚感を味わうことができる。それにしても、「我が祖国に太陽は輝く」、「森の歌」と併せての管弦楽伴奏付合唱曲を現代の録音で届けてくれる素晴らしいディスクだ。

ポリャンスキー指揮/ロシア・ステート交響楽団

ロチャック(Bs)

2000.06.14 Chandos

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速い!というのが音が流れ始めたときの最初の印象で、結局、それは全曲を通してどことなく「軽い感じ」のイメージを引っ張り続ける。ロシア・ステート響は、ソビエト文化省響の後継であり、ロシア崩壊の際に様々な混乱と困難のもとに再編されたオーケストラ。ポリャンスキーは文化省合唱団の指揮者であり、ロシア崩壊で交響楽団と合唱団を合流させた際に、その指揮者となった。ロジェストヴェンスキーに師事しており、オケもソビ文の後継なので、ポリャンスキーとステート響の録音は非常に爆発力のあるものが多い。当盤においてもそれは健在で、凸凹とバランスの悪い演奏が魅力的だ。しかしながら、前述の高速テンポ、そしてロチャックの歌唱や、バランスの悪い演奏によって、当盤は「軽さ」が拭えない。不安定なテンポ感はこの組み合わせによく聴かれる印象があるが、この曲のテーマを考えれば、それが必ずしも功を奏しているとは思えない。

M.ユロフスキー指揮/ケルンWDR交響楽団

スレイマノフ(Bs)

1996.06.03,06-08 Capriccio

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ケルン放送響の渋い響きが魅力的。感情的に爆発させるようなことはなく丹念に築き上げるユロフスキーとケルン放送響は相性が良いと思う。渋みと真面目さが滲み出たような演奏で、とても好きだ。ミシミシ系のサウンドと、ショスタコーヴィチが各所で鳴らす細かな表現が融合しており同曲における表現の方向性を示している。このディスクにはクルィロフやカテリーナ組曲も収めており、こうした分野でしっかりと録音を残してくれているミハイル・ユロフスキーは、間違いなくショスタコーヴィチ演奏の重要な指揮者であり、我々ファンを楽しませてくれる。

スロヴァーク指揮/スロヴァキア・フィルハーモニー管弦楽団

ハナーク(Bs)

1967.05.28/Live Praga

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スロヴァークはナクソスのショスタコーヴィチ全集で名前が知られているが、ムラヴィンスキーのアシスタントを務めていた旧ソ連出身の指揮者。全集があまりパッとしない出来栄えだったので好印象がなかったものの、当盤は切れ味の良い名演。全体的にやたらと遅いのだが、オケのサウンドとは合っている。特段に技量の高いオケではないものの、魅力的なサウンドに仕上がっている。

アシュケナージ指揮/ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団

シェンヤン(Bs,Br)

2013.03.22-23 Ondine

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若い頃のアシュケナージの録音に聴かれたような、どこか軽めの合理的でそつなくまとめられたような演奏ではない。ヘルシンキ・フィルの響きもあってか重厚感のある演奏。安定はしているものの、コンドラシン、ロジェストヴェンスキー、ケーゲルの名盤と比べると特徴がなく魅力に欠けるか。シェンヤンは中国出身の歌手とのこと。録音状態も良好であり、実に豊かな歌唱。それにしても、このジャケットはどうにかならなかったのか。不気味としか言いようがない。

アンドレーエフ指揮/ヴァルナ・フィルハーモニー管弦楽団

ヴァシレフ(Bs)

1989 Koch

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バス、オケ、録音の全てが「どうしてこうなった」という演奏。ヴァルナ・フィルはブルガリアのオーケストラのようだが、録音さえまともならまだ聴けたのではないか。スタジオでセクションごとに省エネで録音してもこのような薄いサウンドにはならないというレベルのもので、バスはまるで力感のない表面を撫でるだけ、録音ブースでマイクに向かって歌ったような歌唱で、いくらなんでもオケとのバランスが悪すぎる。