オラトリオ「森の歌」作品81

スヴェトラーノフ指揮/ソビエト国立交響楽団

マスレニコフ(T),ヴェデルニコフ(Bs)

1978/Live Venezia

('◎')('◎')('◎')('◎')('◎')

改訂版。熱量の高いスヴェトラーノフによるライブ録音。これが決定盤だと思える。スヴェトラーノフらしい「これでもか!」と言わんばかりの大味の迫力と、ソビエト国立響の圧倒的に強いサウンドに惚れ惚れする。第4曲「ピオネールたちは木を植えている」からアタッカで続く第5曲「コムソモールたちは前進する(原典版:スターリングラード市民は前進する)」が何と言っても魅力的。児童合唱が印象的な第4曲と、一転して勇ましい曲調の第5曲。一体化してとてつもないエネルギーを爆発させる。終曲である第7曲「賛歌」はいかにもスヴェトラーノフらしいドラマチックな演奏で、極端なアラルガンドとクレッシェンドに衝撃を受ける。それにしてもグロッケンシュピールがまるで鐘のような音色で素晴らしい。金属系の打楽器がギャンギャンと響いてくるので面白い。さて、「森の歌」はジダーノフ批判を受けて、名誉回復のために作曲された。スターリンを賛美するプロパガンダ的な歌詞を持つが、スターリンの死後、1962年にショスタコーヴィチと詩人ドルマトフスキーの合意の上に歌詞を改訂。「スターリン」という言葉が消えた。この辺りはファーイ『ある生涯』に詳しいが、ショスタコーヴィチが初演後に泣きながらヴォトカを飲んでいたり、密かに「反形式主義的ラヨーク」を作曲して鬱憤を晴らしていたり、見事にスターリン賞第一席を受賞したりと、大変興味深い時期のこと。我々一般の日本人には対訳を見ないと意味がわからないので、純粋に音楽作品として楽しめるのは幸運なのか。

ムラヴィンスキー指揮/ソビエト国立交響楽団

キリチェフスキー(T),ペトロフ(Bs)

1949.12.12 Victor/Melodiya

('◎')('◎')('◎')('◎')('◎')

原典版。録音年は当盤ライナーに表記はない。天羽氏のリストに1949年12月12日の表記があったのでそちらを録音年として紹介しておく。初演者でもあるムラヴィンスキーの貴重な録音。録音年はかなり古いが、絶望的な録音の悪さではない。ムラヴィンスキーが真摯にこの曲に向き合った演奏であり、いつもながらストイックなサウンドになっている。不思議なことに、ムラヴィンスキーによる交響曲以外の演奏も全て交響曲に連なっているかのようなシリアスさがある。速めのテンポで真っ直ぐに突き進むピリッとした姿勢はいつも変わらない。

P.ヤルヴィ指揮/エストニア国立交響楽団

アンドレイエフ(T),タノヴィツキ(Bs)

2012.04.18-20/Live Erato

('◎')('◎')('◎')('◎')('◎')

改訂版。実に堂々とした演奏で、素晴らしく豊かな響き。同時に録音されている「ステパン・ラージンの処刑」や「我が祖国に太陽は輝く」と同様、深みと重みを感じさせる。こうして当時のプロパガンダを含んだ曲が現代に甦り、音楽そのものの価値を知らしめてくれるのはファンとしては非常に嬉しい。個人的には第2、4、5曲辺りが非常に好みなのだが、いずれも既存の録音では聴かれないような奥行きを感じさせる。ハッキリとしたテンポ感と推進力が魅力的。

フェドセーエフ指揮/モスクワ放送交響楽団

マルティノフ(T),ヴェデルニコフ(Bs)

1991.08.16-17 Victor

('◎')('◎')('◎')('◎')

改訂版(ただし第1曲冒頭のみ原典版とのこと)。録音の背景についてはライナーに詳しく、一柳先生による作品解説が大変勉強になる。何でもフェドセーエフは「この傑作が、3種類の録音を残しただけで音楽史から消えてしまうのは惜しい」と語ったようだが(3種類とは、ムラヴィンスキー、ウラノフ、スヴェトラーノフか?)、今日でも高い評価を受けて人々に聴かれているのはフェドセーエフの貢献があったのかもしれない。演奏はフェドセーエフらしいスケールの大きなもので、どっしりと構えた深いサウンドが特徴的。縦線の合わなさと、このどこか「ぼよぼよした感じ」が苦手なので、個人的にはフェドセーエフの交響曲の録音などは聴いてこなかったが、当盤は曲想と合っているのか壮大で感動的。なお、第4曲「ピオネールたちは木を植えている」の児童合唱は、「天使のイメージに近い」とのことで少女合唱団を採用している。不思議とさらさらとした少女合唱は面白い。

ウラノフ,ユルロフ指揮/モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団

イワノフスキー(T),ペトロフ(Bs)

1970 Russian Disc

('◎')('◎')('◎')('◎')

改訂版。録音の奥行きのなさは当時ものとして割り切るとしても、音切れもあって、CDとしては残念なところ。しかし、いかにもソ連サウンドといった魅力にあふれており、「森の歌」を聴くならば避けて通れない一枚と言えるだろう。この真っ直ぐなサウンドには感動を覚えるほどで、歌詞の意味が直接的にわからなくとも不思議と気分を高揚させる麻薬のような演奏。ライナーには原典版歌詞が掲載されており、第5曲も「スターリングラード市民は前進する」表記。アシュケナージ盤でも中身は改訂版なのに曲名は原典版だったりしたが、混乱を招く。また、ロシアン・ディスク盤はユルロフの名が指揮者として記されているが、ビクター盤ではオーケストラ指揮者にウラノフ、「総指揮者」としてユルロフの名がある。LP盤の日本語訳ではさらに混乱していて、合唱指揮としてウラノフ、指揮者としてユルロフが表記されている。

テミルカーノフ指揮/サンクトペテルブルク・フィルハーモニー管弦楽団

キセリエフ(T),ベズベンコ(Br)

1997.014.14-15 RCA/BMG

('◎')('◎')('◎')('◎')

原典版。97年の録音にあって原典版の歌詞を採用していることに、何かしらの意思があったものと思われるが、演奏自体は堅実かつややもすれば地味なもので、特徴がないとも言える。きっちりとまとまった演奏と優秀録音は、政治的なメッセージとは離れたところでこの曲の真価が聴かれるか。

M.ユロフスキー指揮/ケルンWDR交響楽団

カサチュク(T),スレイマノフ(Bs)

1996.03.06-08.06 Capriccio

('◎')('◎')('◎')

改訂版。このコンビらしい実に着実で冷静な演奏。そのためもの足りなさは否めないが、ケルン放送響のサウンドは魅力的。この曲をソ連以外のオーケストラで演奏したときに、純粋で華美な装飾のないアプローチが美しい。