ピアノ協奏曲第2番 ヘ長調 作品102

クリュイタンス指揮/フランス国立放送管弦楽団

D.ショスタコーヴィチ(Pf)

1958 EMI

('◎')('◎')('◎')('◎')('◎')

作曲者自身による録音。ファーイ『ショスタコーヴィチ ある生涯』によれば、1958年は5月中旬にローマに行き、その後パリでクリュイタンスと協奏曲を録音し、6月末にはイギリスに渡ったとあるので、1958年5-6月頃の録音と思われる。ジャケットには、指が8本に増えたショスタコーヴィチの当時のイラストがあるが、速弾き、超絶技巧のショスタコーヴィチの演奏を現したものなのだろう。今日、ショスタコーヴィチ自身の演奏を聴くことができるというのは非常にありがたく、また感動的な体験である。ピアノ演奏がいくつか残されているが、ショスタコーヴィチの曲作りの方向性、音楽的な世界観を味わうことができる。スコアに記されたテンポの表示以上に速いことから、やはりショスタコーヴィチの演奏には速さが一つの表現方法であると伺わせる。前のめりですっ転びそうな危うさも兼ねつつ、非常に面白く、スリリングな演奏である。1番の危なっかしいカーチェイスのような演奏も好きだが、この2番の2楽章のような深遠な切なさもまたショスタコーヴィチらしい。それにしても、この演奏を聴いてしまうと、他の演奏が聴けなくなってしまうという病に陥る。中毒と言ってもいいだろう。ショスタコーヴィチが作曲家としてだけでなく、演奏家としても超一流だったことがわかる。こんな演奏を聴いたら、間違いなくファンになってしまう(既に重度の中毒患者であるが)。

ガウク指揮/モスクワ放送交響楽団

D.ショスタコーヴィチ(Pf)

1956 Melodiya

('◎')('◎')('◎')('◎')('◎')

ガウク指揮による作曲者自身の録音。録音状態は良いとは言えないものの、ショスタコーヴィチの表現の熱量は十分に伝わってくる。やはりこの曲は、こうした方向性での演奏を聴きたい。それにしてもショスタコーヴィチ自身が弾いている録音が3種あるので、なかなか他の演奏を自ら探そうという積極的な気分になれない、というのは正直なところだ。

イリーエフ指揮/ソフィア・フィルハーモニー管弦楽団

D.ショスタコーヴィチ(Pf)

1958.01.31/Live Armada

('◎')('◎')('◎')('◎')('◎')

ソ連の構成国であったブルガリア人民共和国のソフィア・フィルと作曲者自身による貴重なライブ録音。ブルガリア国立放送が、オランダのインディペンデント系レーベルのアルマダを通してリリースしたもののようだ。ディスクはCD-R。当WEBサイトではCD-Rの紹介は控えているが、作曲者自身による演奏であることと、プロ・オーケストラによる自主制作盤であることから掲載している。58年のライブ録音だが、録音状態はとても良い。演奏は、やはり速い。自分で弾くととても速くなる。ショスタコーヴィチ自身による独奏の魅力は他の二つの録音と同様。当盤はライブとあってさらにヒートアップしてコントロールを失ったかのような場面もあるが、猪突猛進するショスタコーヴィチの弾きっぷりは凄まじく清々しい。ショスタコーヴィチ自身がこうした演奏を残しているのだから、やはり演奏は前のめりでやりすぎな感じでよいのかと思う。これぞショスタコーヴィチよ。

M.ショスタコーヴィチ指揮/イ・ムジチ・ドゥ・モントリオール

D.M.ショスタコーヴィチ(Pf)

1985.08.05-06 Chandos

('◎')('◎')('◎')('◎')

作曲者実子マクシムの息子、すなわち孫のドミトリー・マクシモヴィチ・ショスタコーヴィチ(1961年モスクワ生まれ)の独奏による。ロシア人の名前は長くてわかりにくいと言われるが、基本的には「自分の名前+父の名前ヴィチ+苗字」。ミドルネームには「父の名前ヴィチ」が入るのが原則なので、「父の名前がマクシム」だからミドル・ネームは「マクシモヴィチ」。世界で最も有名なロシア人家族の名前で言えば、フョードル・カラマーゾフの息子は、アレクセイ・フョードロヴィチ・カラマーゾフになる。というわけで、作曲者の名をもらった孫ドミトリー・マクシモヴィチ・ショスタコーヴィチ。貧弱なオーケストラと奥行きの感じられないかなり困難な録音が残念だが、そのテンポ感や表現の指向性は、作曲者ショスタコーヴィチに通ずるものを感じることができる。同じ組み合わせによるPf協1番も同様、親子三代による現代まで続く音楽表現を聴くことができる貴重なディスク。この日本ではドミトリー・マクシモヴィチの情報は届かないが、一族と共に幸せにされていることを心から願う。なお、オーケストラ名の表記はどうにかならなかったものかと思うが、慣例的な邦訳に従った。